▼ヨハネス・ヴォンザイファー+イルコモンズ
「99人のユニークなスーパースターとひとりのユニークなアクティヴィスト」
(2001-2008年) (画像中央)
1998年、ヨハネス・ヴォンザイファーは、ドイツの美術館の招聘により個展を開催する際、同美術館の空間をスケートボード場に変えることを提案した。彼はこれまでにも「路上」の「スポーツ」を何度かとりあげており、2001年の「横浜トリエンナーレ」に出品するにあたって、
コラージュ印刷を施した100足のアディダスのスニーカーを制作した。ヴォンザイファーは、47足を観客に提供することにし、スニーカーを受け取った観客は、文字通り、その作品を街中や路上に普及させることになった。同展のくじびきでこのスニーカーをあてたイルコモンズは、2003年のイラク反戦デモの際に、このスニーカーを履いてデモに参加。以後、「路上解放」をスローガンにしたサウンド・デモをはじめ、街中や路上でのデモや抗議運動には必ずこのスニーカーを履いて参加した。もともと「アスリート=運動選手」ではなく、グローバリゼーションに反対する「アクティヴィスト=運動家」であるイルコモンズは、それからまる7年かけ、このグローバル・ブランドのスニーカーを路上とストリートですりへらせ、ロゴやコラージュがすりきれて見えなくなるまで徹底的にはきつぶし、ヴァンザイファーが意図したものとは異なるかたちでこの作品を完成させた。
▼フェリックス・ゴンザレス=トレス+イルコモンズ
「無題:気休めの薬への返礼」
(2001-2008年) (画像左上)
「無題:気休めの薬」は、持ち去られることを求める作品である。銀紙に包まれた何千ものキャンディからなるこの作品は、観客が加わり、干渉することによって、その存在と消滅が同時に発生することになる。天国のように甘い一個のキャンディを持ち去るように促された観客は、芸術的な無を創るというフェリックス・ゴンザレス=トレスの芸術上の策略に自動的に巻き込まれることになるのだ、が、イルコモンズは、キャンディではなく、観客が捨て去っていったキャンディの包み紙をゴミ捨て場から拾い集め、まる7年間、大事に保管した。なぜなら、たとえキャンディが消滅しても、キャンディの「贈与」によって発生したマナ(義理)は、それに対する返礼がなされるまで残り続けるからだ。もともと芸術家ではなく、民族誌家であるイルコモンズは、この作品を「芸術的な無を創るもの」などではなく、グローバリゼーションが進める市場原理主義の社会のなかにあって、その「例外地帯」ともいうべき「ギフト・エコノミー=贈与経済」の世界の可能性を示してくれるものとして受けとめ、フェリックス・ゴンザレス=トレスの贈与に対する芸術上の返礼として、「銀色」の包み紙を「金色」の額縁のなかに収めて展示することにした。
*この展示を
ジェイソン・ローズ(1965-2006)に捧ぐ