
1970年(昭和45年)大阪でのこと。
去年の暮れに死んだドイツの前衛音楽家
シュトックハウゼンは、その当時、彼が
とりくんでいた「移動する立体音響」の
演奏を行うための施設を求めていたが、
彼にはお金がなかった。そんなとき、
西ドイツ政府から大阪万博に出品する
作品の制作依頼があり、シュトックハウ
ゼンはその仕事に没頭した。そして遂に
完成したドーム型のパビリオンは、シュト
ックハウゼンの長年の夢をかなえる
「世界にひとつの場所」だった。彼は183日間の会期中、ほとんど毎日、パビリオンに通いめ、短波ラジオの音をミックスした「シュピラール」など、自作の曲を嬉々として演奏した。
観客がひとりもいない時でさえ、シュトックハウゼンは演奏をやめなかったという。万博閉幕後、国際万国博協会の規定によりパビリオンは解体されることになったが、シュトックハウゼンは「このパビリオンをドイツに持って帰りたい」と(本当に)涙を流して頼んだというが、その願いは遂にかなえられることはなかった。作家が目をさましたままみる夢を現実にするのがアートだとすれば、今回の大阪のインフォショップはその意味ではアートだったと思う。仮称の近代美術館のなかのインフォショップは解体されたが、また別の場所でつくるたのしみができた。