
とよばれる人たちがいる。
「環境問題は
人道問題でもある」
という話をきいた。
あとは
インディメディアのはなし。
札幌では大雪のなかで
デモをやったらしい。
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[追記] 具体的にはこういうこと。
「日本では、「エコロジー」という言葉が、まるで企業の免罪符のようになっている傾向がいなめません。もちろんそうした傾向は、日本だけの傾向ではないとはいえ、「エコ」という言葉が、ライフスタイルに置き換えられているのは、とても日本的な流儀です。「エコロジーという言葉は、微妙に、世界と日本ではズレているのではないか」とぼんやり感じてきました。これは、まったくの私見なのですが、フランスやイタリアなどでは、エコロジーというと「クジラを救え!」的なアングロサクソン的な思想のほかに「人権の問題」のパーセンテージがずっと多い気がしました。緑を守ろうとか提案する前に、抹殺されている子供や、瀕死の民族を救おうと呼びかけるのが当たり前だという口調があります。
それに比べ、日本においては「エコ」は、ますます「リラックス」と「健康」、それに得に「ハイテク」とパラレルになってきた傾向があるような気がします。日常のことからスタートするというのはよい発想だとおもいます。経済的なエンジンがかかることも良いことだと思います。が、いつまでもそこにとどまっているのはどうでしょう。人権という問題に触れるのはどのマスコミもめんどくさいのでしょうが、もうすこし、真正面から取り組んでもらえないかなあ、と思います。」
にむらじゅんこ
「温暖化難民 その2」より
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同感。もっといえば、この国では、「エコロジー」が個人の「癒し」や「セラピー的」(小沢健二)になってる気がする。また、企業にとって「エコロジー」は、イメージ操作とビジネスの道具になってる。その一方で、「アース・ファースト」やグリーン・アナーキストたちのことはマスメディアではほとんど報じられない。