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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼消せはしないだろう、この憲法も、この唄も
d0017381_1432126.jpg「静かにもえるオリーブの赤い実
鳩の小屋に羽ばたく野生の詩人
変わらずにひびく永遠の歌
静かに暮らし、生きる権利
飛び交じう砲弾にさえも、
消せはしないだろう
この唄は。
それは勝ちとるための鎖
消せはしないだろう 
この唄は。」

「平和に生きる権利 (El Derecho de Vivir en Paz)」(ヴィクトル・ハラ)
http://www.youtube.com/watch?v=xdBMY3R4C0Q

ヴィクトル・ハラのこの唄をききながら、このニュースをよんでみてほしい。

▼「違憲判決、原告ら「9条は生きている」
「9条が生きているということを示した判決だ」――。自衛隊のイラク派遣を違憲とした17日の名古屋高裁判決を受け、4年以上にわたって訴え続けてきた原告たちや弁護団は、思い思いの言葉で喜びを表した。判決を手に、政府に対して派遣の中止や隊員の帰還などを求めていくことも確認した。

「イラクで行われている空輸活動は、憲法9条に違反する活動を含んでいる」

裁判長が述べた瞬間、廷内にはどよめきが広がった。原告団のうち2人が走り出し、この日に備えて用意した数本の旗から「自衛隊イラク派兵は憲法違反」「画期的判決」を選び、裁判所前で掲げた。雨が降る中、待ち受けた数十人から大きな拍手が起き、抱き合う人たちもいた。裁判所近くで開かれた報告集会には、原告や支援者ら約150人が集まった。原告代表で大学講師の池住義憲さん(63)は「提訴を呼びかけて4年2カ月。憲法9条を、平和憲法を持つ国の国民として誇りを持って語れる日が来た」とあいさつ。弁護団長の内河恵一弁護士は「何とか戦争のない国を、と思ってきただけに感無量だ。取り返しのつかない状況になりつつある今、引き返すことができる時だと思う」と話した。弁護団事務局長の川口創(はじめ)弁護士は「憲法9条に正面から向き合っており、予想を上回る歴史的で画期的な判決だ」と評価した。自衛隊海外派遣の恒久法議論が出ていることを挙げ、「この時期に違憲判決が出た意味は大きい。戦争をする国造りを止めるためにも、この判決を武器に政府に働きかけたい」と話した。原告・弁護団も国会議員や政府に訴えていくことを確認し合った。原告側証人として、判決を法廷で聞いた小林武・愛知大教授(憲法学)は取材に対し、「自衛隊のイラク派兵が違憲であること、平和的生存権が具体性を持つ権利であることの2点をきわめて明解に認めた歴史に残る判決だ。期待以上の内容に涙を禁じ得なかった。今まさに進行中の政策が『違憲』と断罪されたことに、政府がどう応えるか注目したい」と語った。(「朝日新聞」2008年4月17日)

この判決もさることながら、よかったのは、「平和に生きる権利」を認めたところだと思う。

「さらに判決は、原告側が請求の根拠として主張した「平和的生存権」についても言及。「9条に違反するような国の行為、すなわち戦争の遂行などによって個人の生命、自由が侵害される場合や、戦争への加担・協力を強制される場合には、その違憲行為の差し止め請求や損害賠償請求などの方法により裁判所に救済を求めることができる場合がある」との見解を示し、平和的生存権には具体的権利性があると判示した。」(「朝日新聞」2008年4月17日)

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▼「平和に生きる権利 (El Derecho de Vivir En Paz)」 (Luar Na Lubre)
http://www.youtube.com/watch?v=FbrlaArSn-o

「平和に生きる権利」。なんてことのない言葉だけど、それに「息を吹き込む」のが唄だと思う。
どんなに時代は変わっても、その唄を歌いつぐ者たちがいる限り、その言葉は消し去ることは決してできない。そして、何度でも書くが、憲法は唄のように人間の夢と理想を堂々と歌いあげるものであっていいと思う。

「前衛詩としての憲法第9条」と「新憲法第9条草案・第二版」
憲法九条を「世界遺産」にして保護しようというアイデアもあるようだが、僕らの考えはそれとはちがう。戦争の親玉であるはずの国家が戦争の放棄を宣言した憲法九条を、僕らは「アヴァンギャルドな憲法」だと思う。あるいは、こう云ってよければ、現実に囚われずに人類の理想を貫いた「政治的シュールレアリズムの詩」だと思う。そういうものは大切に保護するよりも、もっとラディカルに前進させるべきだと思うので、そうした。「こんな憲法は現実ばなれしてる」という意見もあるだろうが、憲法と法律は違う。憲法は現実にとらわれずに人類の理想と社会の夢を、思う存分、これでもかというくらい高らかに表現したメルヘンであり、ファンタジーであり、ポエムである。詩を現実にあわせて書きかえるなんてばかげてるし、理想を放棄するなんてもってのほかだ。それは人類の普遍的な夢と理想の追求に対する冒涜である。かくして、アヴァンギャルドでラディカルな改憲派である僕らの考えを一言で云うと、こうなる。「憲法よ、一歩前に、現実は後からついてこい」。(イルコモンズ)

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「ハラはチリの「ヌエバ・カンシオン=新しいうた」運動を領導する才能あふれるシンガーソングライターであった。時の権力は、彼の反権力的志向と若者への影響力の絶大さをきっと恐怖したのだろう。彼の死体は、ギターを弾く両手を砕かれた、むごたらしいものであった。しかし、権力者がハラの肉体をどれだけ引き裂こうと、ビィクトル・ハラ、その人の反権力の志操と軌跡、そして、彼がわたしたちに残した珠玉の歌たちを葬り去ることは決してできないのだ。」(神谷一義 「瓶の中の球体・フォークパルチザン」ライナーノーツより)


かたや、人間の「平和に生きる権利」が侵されるとき、そこでどんなことが起きるか?
たとえば、騒乱前のチベットではこんなことが起きていたという。

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「チベット緊急報告会」に行ってきました。チベット事情に詳しい主メンバーの方が、どうして今回の「騒動」に至ることになったのか、その経緯をかなり生々しく、日時を追った詳しい説明をしてくださいました。途中、あんまりひどい話でクラクラしてきました。子どもたちの話は堪えました。報告してくださった方のごく親しいチベット人のお子さんたちのこと。学校で「ダライ・ラマ万歳」という落書きがされたことで、その学年全員(40人)が中国警察に連行。意識不明の重体になったり、精神錯乱になって戻って来たそうです。よくよく聞いたところ、殴る蹴るの尋問を受けたあと、決して「誰にかかされたか」を口にしないので(中国警察は、子どもたちに「◯◯さんに書かされた」と言わせることで、チベット人が地域で頼りにしているリーダー的な存在の人たちを消したいという意図。しかももちろんそれは「書かされた」訳ではない)最終的に子どもたちの頭に黒い袋をかぶせ、野原に放置し、「ここなら死んでも誰も気づかない」とおどした上で、空砲を響かせます。そして「◯◯が死んだ!」と脅します。子どもたちは目隠ししているから、友達が次々殺されて、次は自分の番だ、と思う。みんな失禁して、気を失って、気が狂って帰って来たそうです。 」(「ゆんた@Tibet開花「チベットナイトnゆんた」より)
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いまちょうどデリダの「条件なき大学」を読んでいたところで、デリダは大学とは「すべてを公的に言う権利」のある場所だと云う。それは子どもたちの学校でも同じはずで、学校はあらゆることについて公然とものを云ってよい場所である。チベットの子どもたちには、学校に「ダライ・ラマ万歳」という落書きをする権利がある。なのに、その学校でこんな狂気の沙汰が起きてしまう。「平和に生きる権利」や「学校という場」が侵されるということはどういうことなのか、チベットの学校で起きた事件はそれをまざまざと教えてくれる。聖火のひとつやふたつ消したところで、この子どもたちが受けた凄まじい暴力の傷は消えないだろう。

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▼「平和に生きる権利エレクトロニカ (El Derecho de Vivir En Paz)」(LLUVIA ACIDA)
http://www.youtube.com/watch?v=cN6OrHbrzdw

もし仮にヴィクトル・ハラのこの唄を歌える者がいなくなったとしても、いまは、それをより力強く蘇らせることだってできる。それがカヴァーやリミックスの役割で、憲法にもそれが必要だ。今回の名古屋高裁の判決は、「憲法9条」に息を吹きこみ、その根幹にある「平和に生きる権利」をあらためて公然のもの=公的なものにするものだったと思う。次はそれを、さらにゆるぎないものにすることだ。たとえば、こんなふうに。

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▼「新憲法第9条草案・第二版」(イルコモンズ案)
*クリックすると拡大して、本文がよめます。

「時間をかけてください、しかし、急いでそうしてください。
何があなた方を待ち受けているのか、あなた方は知らないのですから」
(ジャック・デリダ)。
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by illcommonz | 2008-04-18 01:22
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