![]() はじめに、ふた、ありき
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「単元学習というのは、もっと「身をもって指導する」ことなのです。「身をもって」ということは、もっとほんとうにからだを動かして、口だけでなく、手も足も使って、ということです。たとえば、意見文を書くという場合、自分たちの生活から、何か考えのあること、人に訴えたいことを見つけて書きなさい、などと云われます。そういう言い方で、指導するだけでなく、ちゃんと子どもたちがタネを持てるように指導すべきです。子どもがいま考えたらいいこと、考えるべきこと、考えて書けば甲斐のあること、そういうことを見つけて、もちろん、「これを書きなさい」というのは、昔のことばで、単元学習のことばではありません。そんなおしつけがましいことばで言う教師はいません。見つけたものを見せるだけです。それが手びきです。その中から子どもが拾ってもよし、それがヒントになって何か他のことを書いてもいいのです。けれでも、書くタネを十分与えるということ、それを見ただけで書く意欲に燃えるようなものを出す。また、書いてもつまらないということのない、値打ちのあるものを提出するということが、教師の仕事だと思います。それが身をもって教えるということの、一例です。教師が子どもと一緒に生きている人間として、何を拾ってみせられるかということが、教師の力です。教師が子どもの数を超える、たくさんの題材を拾ってみせるのです。」(大村はま「日本の教師に伝えたいこと」アフリカでフィールドをやっていた時も、美術館でインスタレーションをつくっていた時も、「文化人類学解放講座」や「イルコモンズ・トラベリング・アカデミー」そして、この「イルコモンズのふた」をやっている今も、やってることは同じ。ただ「拾ってきて・見せること」。ちがいは、それがフィールドデータだったり、ジャンクだったり、資本主義の廃物だったり、教材だったり、YouTube映像だったり、詩だったりするだけのこと。論文でもなく、作品でもなく、著作でもなく、そして表現や教育ですらなく、やりたいのは「単元づくり」。それをただ、身をもって場所とメディアを移しながらやるだけのこと、ただそれだけ。「ことは単純に、しかし、工夫は豊かに」。ただそれだけのこと。「さて、今日の単元はうまくいっただろうか?」。教育実習4年目の春に想う。教室はまだないが、教室はどこにでもある。教室はメディアであり、いまは教室がメディアである。 [追記] ケニアのシャーマンたちのもとでシャーマニズムを学びながら、いまもまだ依然として人類学者にはなりそこねてはいるが、でも、このまま続けてゆけば、いつか「メディア」になれるかもしれない。そもそもシャーマンは霊媒=メディウムなのだから、もし「メディア」になれたとしたら、それなりに筋は通っている。ケニアでシャーマンたちが身をもって教えてくれた単元学習はちゃんと生きている。今にして思えば、よい「野の教育」を身につけさせてくれたと思う。
by illcommonz
| 2008-04-24 00:13
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