
「私のおじさんの、他の人間たちに対する最大の不満は、自分がしあわせなのに、それに気づいてない者たちが多すぎる、ということだった。ある夏、わたしはおじさんと一緒に、りんごの木の下でレモネードを飲みながら、あれこれ、とりとめもなくおしゃべりをした。ミツバチが羽音をたてるみたいな、のんびりした会話だ。そんなとき、おじさんは、気持ちのよいおしゃべりを突然やめて、大声でこういったものだ。「これがしあわせでなかったら、他にどんなしあわせがあるっていうんだ!」。ここでひとつ、みなさんにお願いしておきたいことがある。しあわせなときには、しあわせなんだとどうか気づいてほしい。「これがしあわせでなかったら、他にどんなしあわせがあるっていうんだ!」と、そう叫ぶなり、つぶやくなり、考えるなりしてほしい。」(カート・ヴォネガット)
このふかふかの布団にくるまれたECDの顔はこう云っている。「これがしあわせでなかったら、他にどんなしあわせがあるっていうんだ!」。そして「IN THE PLACE TO BE!=いるべき場所!」とも。ECDのラップを聞き、自伝を読み、そして「WE ARE ECD+1」の連載をリアルタイムで読んできた人間や友人たちなら誰だってそう思うはずだ。イルコモンズもそう思ったので、ヴォネガットを引用したメールを書いて贈った。云いたいことはひとつだけ。どうかどうか、おしあわせに。もっともっと、おしあわせに。ECDに幸あれ。
[追記]
「WE ARE ECD+1」をまだ読んでなかった方は、ぜひ「寿命」→「家族」→「宣告」→「生活」→「進展」とはじめから順番に読まれることをおすすめします。
▼「WE ARE ECD+1」
http://www.public-image.org/column/ecd/