はじめに、ふた、ありき
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「対談フォークゲリラ・ノーリターンズ!?フォークの
暗さよ我らに再び」という対談で「社会に意見する ことを覚えたのは、人生幸朗と生恵幸子のボヤキ 漫才からだった」という話をしたら、同じ齢で社会学 者の酒井隆史もそうだったらしい。人生幸朗があの 大きな体をゆすり始めると、きたきた、くるぞくるぞ、と ワクワクしたものだ。当時の流行歌へのつっこみは リアルタイムでないと生彩を欠くが、「締め」の長調子 は見事。願わくば、あの「責任者でてこい!」の怒声を もういっぺん聞いてみたい。 ▼人生幸朗・生恵幸子「ぼやきアラカルト」 http://www.youtube.com/watch?v=wHQflkzqDx8 ▼「人生幸朗・生恵幸子」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 「人生幸朗・生恵幸子(じんせいこうろう・いくえさちこ)は、戦後に活躍した吉本興業所属の夫婦漫才コンビ。歌詞・世相などにイチャモンを付け、「責任者出て来い!」の決めゼリフを吐くボヤキ漫才で、本拠地の大阪のみならず、テレビ・ラジオを通じ全国的人気があった。 世相を槍玉に上げては、とんちんかんな難癖を付ける「ぼやき漫才」の第一人者。一般的なしゃべくり漫才とは趣を異する、この「ぼやき漫才」の遣い手には、幸朗の師匠の都家文雄・静代、東文章・こま代らがおり、前者は主に社会風俗、後者は映画を題材にぼやき一時代を成していたが、1982年に幸朗が他界して後には、継ぐ者が殆ど居らず廃れてしまった。 人生幸朗・生恵幸子は世相のみならず、流行歌の歌詞にケチをつけ歌謡漫才の要素を加味した事で、人口に膾炙した。このため幸朗・幸子に扱き下ろされれば、歌手として一人前という風潮さえあった。」 「歌のボヤキが最高潮に達した時、「(幸朗)責任者出てこい!」「(幸子)出てきたらどないすンのン」「(幸朗)謝ったらしまいや!」。ここで幸子が一喝。「(幸子)アホ!いつまでぼやいてんねや、この泥亀!」(あるいは「人が黙って聞いとったら、いつまでいちびってんの。ほんまに~!」または「いつまでしゃべっとんねん。このヨダレくり!」)「(幸朗)かあちゃん堪忍!」「(幸子)何がかあちゃんや!」「(幸朗)ごめんちゃい!」と言って両手を頭の上に持っていって股を開く。 *そして幸朗が締の一節を述べる。 「(幸朗)我侭勝手なことばかり申し上げまして(幸子ここで「わかってンのンかいな」の一言を挟む。)、お叱りの言葉もございましょうが、これは私の本心ではなく、相方生恵幸子の書いた筋書きでございます」「(幸子)嘘つけー、自分勝手にしゃっべてるんやないかぁ」「(幸朗)笑いこそ健康の栄養素!凝りと疲労の回復剤!」「(幸子)何ンや薬屋のオッサンみたいな事言うてんねエ」「(幸朗)笑え。笑え。笑う門には福来る。皆様のご健康とご発展とを心よりお祈り申し上げ、ボヤキ講座予定終了でございます」。 *締めの一節は持ち時間により伸縮自在で、「わがまま好き勝手をしゃべって参りました。こんなおもろない漫才聞きとうないわ~い!というお叱りの言葉もなくご静聴賜りまして誠にありがとうございました」や、「これひたすら、私(わたくし)一人の人徳の致すところ~」のパターンもあった。」
by illcommonz
| 2008-04-26 04:58
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