こないだ出たデリダの「条件なき大学」がとても面白かったので、
この本についてもっと話を聞きたいと思い、この講演をきいてきた。
「ジャック・デリダ―他者への現前、教育者として、被写体として、絆として」
[対談] 鵜飼哲×西山雄二
[日時] 2008年年4月24日(木) 開演18:30
[会場] ジュンク堂書店新宿店 8F
講演の後、鵜飼さんから急に発言を求められ、何も質問を考えてなかったので、
その場の思いつきで、映画「デリダー異境から」の中でよく覚えているシーンが
ひとつある、ということから話をはじめ、デリダの音楽性について質問した。よく
覚えているシーンというのは、上の写真のシーンで、デリダが車を運転しながら、
カーラジオから流れる音楽にあわせて、機嫌よく、リズムを打つシーンである。
このシーンをみながら、この映画もふくめ、デリダの思考やテキストを流れている
音楽のリズムやビートはどういうものなのか興味をもったので、オーネット・コール
マンとのセッションなどの挿話も交えつつ、質問をなげかけてみた。回答の詳細は
省くが、「デリダー異境から」という映画は音楽の映画なのだという回答におおいに
得心した。講演の後、買い求めた「言葉を撮る」という本で監督のサファー・ファティは
こう書いていた。
「音楽、全能の境位、この映画の霊魂にして身体、私は信じている、それは音楽、
ユダヤの、すなわちアラブ=アンダルシアの音楽であると。いたるところで、あれ
これの瞬間に聞こえるかどうかにかかわりなく、音楽は包容し、鼓舞し、呼吸する。
それこそが<作者>のもっとも決定的な選択であり、そのようなものがあるとすれば
<メッセージ>であり、映画の精神、挙借である。(...) この映画の上映時、わたしは
隣の女性に、こう耳打ちしたくなったものだ。お聞きなさい、この映画は眼を閉じて
みなくてはなりません。」「一人の亡者に関する複数の手紙=文字」