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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼もうひとつの実存主義
▼もうひとつの実存主義_d0017381_523470.jpg
【実存主義】(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
「実存主義は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を主張する思想である (「実存は本質に先立つ」) 。時間の流れの中で、今ここで現実に活動している現実存在としての「私」は、ロゴス的・必然的な永遠の本質を否定された自由な実存として、予め生の意味を与えられることなく、不条理な現実のうちに投げ出されたまま、いわば「自由の刑に処された」実存として、他者と入れ替わることの出来ない「私」の生を生き、「私」の死を死ぬことを免れることは出来ない。このような生を、絶望に陥ることなく、いかにして充実させていくかが、実存主義にとっての課題ということになる。」

「私」でもなく「公」でもなく、そのあいだに、ときおり存する、偶発的な「共」の経験や場に焦点をあて、制度よりも「共の生」をつねに重視する「もうひとつの実存主義」というものが、もし可能であるならば、「あたかもそれのようなもの」になってみたいものだ。リラックスしながらアンガージュマンしてみたいものだ。自由と解放と呑気の終身刑に処せられたいものだと、いま・ここで、だけでなく、だいたいいつもそう思ってる。実存主義を批判した構造主義は、もともと文化人類学から生まれたもので、方法論としては有効だと思うが、ライフスタイルや生活信条としてはどうにも共感できない(特にリュシアン・セバーグの生き方などをみるとそう思う)。いまだに文化人類学者になりそこねている理由のひとつは、意外とそのへんにあるのかもしれない。

「第二次大戦後、フランスに輸入され、サルトルらによって広まった実存主義は、サルトルのアンガージュマン(他の実存と共に生きるための自己拘束) の思想に見られるように社会参加色が強く、1960年代の学生運動の思想的バックボーンとなった。この制度に対する個人の重視 (主にサルトルの思想) は、1970年代に入ると、構造主義などから批判を受け、低調になっていくが、実存思想そのものは広く受け入れられた。また、同じく「私」に焦点を当てる芸術や文学、心理療法との相性も良く、特にロジャースらが始めた心理療法には「今、現にここに存在している私」を問題とする実存主義の強い影響が見られる。実存主義を哲学のみならず、文学、芸術などにも拡大解釈する場合 (オットー・フリードリッヒ・ボルノウなど) 、パスカルやドストエフスキーやイルコモンズ等も実存主義者だと解される場合もある。」(同上)
by illcommonz | 2008-05-11 05:24
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