
まる2年半かかったが、ようやく、今日のキャンプで、頂上(サミット)に足がかかった。多国籍企業の搾取工場(スウェットショップ)の話からはじまった「災厄の文明としてのグローバリゼーション」をめぐる民族誌は、WTO、IMF、世界銀行、新自由主義批判を経て「G8サミット」にたどりついた。自らの手を汚さぬG8、なさざることで悪をもたらす巨悪としてのG8、新自由主義の"世界統合の象徴"としてのG8... これに立ち向かうために必要なのは、地球の裏側や社会の周辺部で起きていることを、自分の足もとで起きていることとして感知できる知性と、実感をこえた想像力である。G8の悪行を理路整然とならべあげても、そこから行動は生まれない。そこには実感が伴わないからだが、それは当然のこと、日本は当のG8だからで、私たちは加害者なのである。だからこそ、実感を超えた想像力をもたない限り、行動は生まれてこない。今日ようやくそこまでたどりついた。頂上に足こそかかったが、まだ、のぼりきってはいない。のぼりきるには、札幌へ、そして、洞爺湖へ行かなければならない。そこには「生きた知のキャンプ」が待っている。マルクーゼが云うように、「行動なき理論が無」であるとするなら、「行動なき学は知の廃墟」である。非暴力無抵抗の平和的デモから、非暴力直接行動の祝祭的デモへ。WELCOME TO 直訴、野生の民主主義のフィールドへ、ようこそ。