
「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は、前後関係を断ち放たれて、その時・その場が異様に明るく感じられます。 この考えをあなたは見事にひと言で言い表しています。すなわち「これでいいのだ」と。あなたにとって、死もひとつのギャグなのかもしれません。私は人生ではじめて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係である、あなたとのあいだに、お礼を言う時にただよう他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。しかし、いま、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品のひとつです。合掌、平成20年8月7日、森田一義。」
上の赤字のくだりがとてもよかったのに、テレビではカットされていた。
▼[YouTube] 「タモリ 赤塚不二夫さんへ 弔辞」
http://jp.youtube.com/watch?v=yU83Nhuub6k

「それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は、前後関係を断ち放たれて、その時・その場が異様に明るく感じられます」。さすが、
中州産業大学教授である。まるでベルクソンが書いたような、この一節こそ、「これでいいのだ」というギャグが持っていた解放性や実存的意味を、見事に言い表わしていたはずなのに、なぜ、そこをカットするのか理解に苦しむ。でも、テレビはいつもそうだ。めったに人間について語らせないし、深く考えさせない。それでいいのか?と、いまさら問うても仕方なさそうなので、やっぱりテレビをみるより、映画をみて生きてゆくことにしようと思った。