【喧嘩両成敗】
「喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)とは、中世日本の法原則の1つ。喧嘩に際してその理非を問わず、双方とも均しく処罰するという原則。中世後半になると、社会が不安定となり、境相論などを訴訟によらず実力によって解決(自力救済)しようとする故戦防戦が頻発するようになる。こうした事態に対応するために、武断的・簡潔的に処理する事を目的としたものである。その最古の例は文安2年(1456年)に出されたものとされている。こうした考え方は戦国時代の分国法にも取り入れられ、武田氏の甲州法度之次第には、「喧嘩はどの様な理由があろうと処罰する。ただし、喧嘩を仕掛けられても、我慢した者は処罰しない」とある。こうした風潮は江戸時代前期まで継続されるが、文治政治への転換の中で儒学者達からの批判を受けることとなった。もっとも喧嘩両成敗は分かりやすく、また双方納得しやすいことからその後も日本人の精神観としては現在まで脈々と受け継がれているともいえる。現代では特に子供の喧嘩の処断などで教師や親がこの理論が持ち出すケースが多い。また民間のみならず裁判所も喧嘩の正当防衛に関する判例で喧嘩両成敗を持ち出した例がある。」(Wikipediaより)
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「グルジア紛争 双方が「勝利」訴え 戦争のツケは今後に」
「グルジア南オセチア自治州をめぐる軍事衝突は、ロシアとグルジアが12日、停戦を含む和平案に合意し、終息に向かう見通しとなった。いずれの政権も国内に「勝利」を訴え、国民の結束には成功したが、ロシアは国際社会の信頼を失い、グルジアは西部で独立派勢力に支配地域を奪還された。戦争のツケは今後、じわじわと効いてくる可能性がある」(毎日新聞 2008年8月13日)