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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼1973年9月11日


▼[YouTube] ヴィクトル・ハラ「平和に生きる権利」
(Victor Jara - El derecho de vivir en paz - Full Version)
http://jp.youtube.com/watch?v=xdBMY3R4C0Q

「中南米の国々の富は、長い間、一部の特権階級と、アメリカ合衆国のものだった。そして、貧しい民衆……南米の西海岸の細長い国「チリ共和国」も例外ではなかった。20世紀、そんなチリに、サルバドール・アジェンデという男が現れた。彼は、医師だったが、激しい貧富の格差、貧しい民衆の姿を見て、国を変えようと決心した。

1952年、大統領選に出馬、落選。
1958年、大統領選に出馬、落選。
1964年、大統領選に出馬、落選。

 アジェンデの、チリの富を、みんなで共有しようとする共産主義の考えは、富や地位を独占している特権階級や、合衆国政府にとって受け入れられないものだった。暗に、時には公然と、アジェンデを攻撃した。しかし、アジェンデの声は、次第に民衆の中に浸透していった。地方の貧しい農民、労働者、そして、未来を信じる若者たち、アーティストたち…国民的歌手、ビクトル・ハラも、その一人だった。

 1970年、ついに、アジェンデは大統領になる。

 チリは、世界で始めて、民主主義によって共産主義を選んだ国となった。アジェンデは、次々に改革を推し進めていった。地主に独占されていた土地を、農民に解放し、外国の企業に独占されていた鉱山を国営化し、ミルクの無料配給など、学校、医療、福祉を、すべての人々に解放していった。だが、それまで富や地位を独占していた特権階級や、合衆国政府の攻撃は、ますます、強まっていった。世界の超大国の圧力に小国チリのアジェンデ政権は、だんだんと崩れていった。アジェンデは最後の賭けに出る。国民投票により、チリの民衆の声を集め、国内の反対派を抑え、民衆の声で、世界に訴えようと…しかし、チリの人々の声は、届かなかった。

 1973年9月11日、特権階級とアメリカ合衆国に支持された将軍ピノチェトは、アジェンデのいる大統領官邸へ軍隊を送った。戦闘機による空爆の中、アジェンデは、首相官邸から、チリの民衆に、最後のラジオ演説を行った。

「親愛なる友たちへ これが、あなたへ語る最後の時となるだろう。空軍がポルタレスとコルポラシオンのラジオ塔を爆撃している。この事態を前にして、わたしが言えるのはこれだけだ。"わたしは辞任はしない" この歴史的な局面にとどまり、わたしに寄せてくれた人々の信頼に対し、わたしは命を懸けて答える。そして、わたしたちが、何千、何万ものチリの人々に届けた種は、決して奪い取られることはない。彼らは武力をもって、わたしたちを支配する。だが、犯罪も暴力も、社会の進歩を止めることはできない。歴史は、われわれのものであり、人々により作り上げられるものなのだ。

 祖国の労働者たちよ。正義の体現を目指し、法と憲法の遵守を語り、そして、それを実行してきた… そんな男に対して、あなたたちがいつも持ち続けてくれた信頼に、わたしは、心から感謝する。この決定的な瞬間において、あなたたちには、わたしが提供できる最後の教訓を学んで欲しい。外国企業、帝国主義が結託して作り上げている軍国主義は、わたしたちが、偉大な先人たち、犠牲者たちから受け継いだ、どんな征服者たちからも財産、そして権利を守り抜くという伝統を、打ち砕こうとしている。

 この国の謙虚な女性たち、わたしたちを信じてくれた農民たち、日々、厳しい仕事に携わっている労働者たち、そして、わたしたちの大切な子供たちを見守ってくれている母親たちのために、わたしは語る。一部の人々の富の独占を優先する資本主義に対抗している祖国の職業組織、愛国者組織のために、わたしは語る。若者たち、幸せと闘争心を歌うアーティストのために、わたしは語る。チリの男、労働者、農民、学者のために、わたしは語る。なぜなら、テロリストが暴力をふるい、橋を落とし、線路を切断し、石油パイプラインを破壊しているファシズムが、この国で台頭しているからだ。歴史は、彼らを裁くだろう。ラジオ・マガジャネスは沈黙させられ、わたしの声は、あなたたちに届かなくなることだろう。だが、そんなことは問題じゃない。聞き続けて。わたしは、いつもあなたたちと共にある。わたしの想い出は、労働者の信頼に忠実であった男として、最後には記憶されることだろう。人々は、自らを守るすべを知る。犠牲になってはいけない。打ちのめされてはならない。暴力に屈してはならない。そして、卑屈になってはならない。

 わが祖国の労働者たちよ。わたしは、このチリを信じ、チリの未来を信じている。いつか、誰かが、この暗く厳しい時を乗り越えることだろう。いつでも思い続けていて欲しい。遅かれ早かれ、大通りを自由な人々が歩き、よりよい社会が作られることを。
 
 Viva!チリ! Viva!市民たち! Viva!労働者たち!

 これがわたしの最後の言葉だ。わたしの犠牲が、決して無駄ではないと確信している。少なくとも、臆病者の裏切り、犯罪を罰する教訓となるだろう。」

この後、アジェンデは、命を絶った。アジェンデを支持していた歌手のビクトル・ハラは、革命直後、革命軍に逮捕され、チリ・スタジアムに収容され、4日間、拷問された後、射殺された。発見されたとき、彼の体には、無数の傷跡、そして、その手と手首は砕かれていた。ひとつの伝説では、ハラは、スタジアムに収容されていた、他の同胞を勇気付けるためにギターを弾き歌ったという。兵士は、それを辞めさせようと、彼からギターを奪い、二度とギターを弾けないように、その手を銃で砕いた。しかし、ハラは、歌うことを止めなかったので、射殺されたという。これは、伝説かもしれないが、ハラの人柄を表しているのだろう。

チリは、この後16年間、軍事政権下に置かれ、軍事政府による、拷問、虐待、そして、誘拐により、自由を求める数千とも数万とも言われる市民の命が失われた。ハラの歌は、軍事政権下で、禁止された。しかし、人々は、ハラの歌を忘れなかった。彼が殺されたサンティアゴのチリ・スタジアムは、2003年、「ビクトル・ハラ・スタジアム」と改名された。

(ミシェル「親愛なる友たちへ…」 『世界の肖像』コミュニティ 「9.11という日」より転載)



▼[YouTube] LLUVIA ACIDA 「平和に生きる権利」
(LLUVIA ACIDA: "El Derecho de Vivir en Paz" (Vi'ctor Jara)
http://jp.youtube.com/watch?v=cN6OrHbrzdw
by illcommonz | 2008-09-11 22:59
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