
ヴォネガットの新しい本がでた。品切れになってたエッセイ集も文庫化された。
ハイホー! ヴォネガットの最後の講演原稿とマーク・ヴォネガットの序文がすばらしい。
「読書と創作は、それ自体が破壊活動的な作業といえる。このふたつが覆そうとしているのは、なにごとも現状維持であるべきだということ、あなたは孤独であるということ、そして、これまであなたのようような気持ちをいだいた人間はほかにいないという考え方だ。カート・ヴォネガットの作品を読むとき、人びとの頭に生まれる考えは、物事は自分がこれまで思っていたよりもずっと選りどり見どりなんだな、ということだ。この世界は、読者がカートのバチあたりな本を読んだせいで、いくらか変化するだろう。それを想像してほしい。」(マーク・ヴォネガット)
「物事は自分がこれまで思っていたよりもずっと選りどり見どりなんだな」と思わせるところは、
「文化人類学者になりそこねた作家」ヴォネガットの面目躍如たるところである。それが文化人類学のモノの見方・考え方でなかったら、ほかになにがある。
「父はこう考えずにはいられなかった。アメリカ軍がはるか遠くの国のなにかを爆破して、人びとを殺すために使った大金、全世界の人びとがアメリカを憎み、恐れるようにしむけたあの大金を、そっくりそのまま公共教育や図書館につぎこんだほうがずっとよかったのにと。もし父が正しかったことをまだ歴史が証明してないにしても、いずれは証明されるだろう。そう想像しないでいることはむずかしい。」(マーク・ヴォネガット)
「しばらく前、人生とはなんだろう、とマークにたずねたことがあります。わたしはまったく手がかりをつかんでいなかった。マークはこう答えました。「父さん、われわれが生きているのは、お互いを助けあって、目の前の問題を乗り切るためさ。それがなんであろうとね」。「それが何であろうと」 いい文句だ。これは使える。さて、この終末の時代に、われわれはどんなふうに行動すればよいのか?もちろん、おたがいにとびきり親切であるべきです。しかし、それと同時に、あまり真剣にならないように心がけるべきでしょう。」(カート・ヴォネガット)
カート・ヴォネガットの考えは、マーク・ヴォネガットのなかに生きている。そう想像しないでいることはむずかしい。
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▼「さよなら、ヴォネガット」(イルコモンズのふた)
http://illcomm.exblog.jp/5146445/