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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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これから皆さん国民ひとりひとりの身に
ふりかかってくる様ざまな苦難と不幸は
すべてわたしたち無能な政府のせいです
いまさら気がついてももうおそいのです
すべてはゆっくり準備されていたのです
それではどうかみなさん 恐怖と不安と
絶望に満ちた新たな年をお過ごし下さい
MANY CRISIS AND A HAPPY NEW FEAR...

子どもには親切でも、大人に対してはときどき、おそろしく底意地が悪くなる、そこが「ベルコモンズ=すてきなコモンズ」ならぬ「イルコモンズ」のイルたる由縁。この年賀状ですこしバランスをとりもどした。それはさておき、これまでの世界の歴史をみてもわかるように、不況が深刻化すると人心が荒廃する。非情な犯罪や陰惨な事件がふえ、エロ・グロ・ナンセンスが流行する。もうすでに、その兆候があらわれてきているが、これはまだほんのはじまりにすぎず、本格的に不況の嵐が吹き荒れる来年は、相当に「酷な年」になりそうだ。いちばんやりきれないのは、荒廃した人心から生まれる憎悪や暴力が何の責任もないものに向かうことで、いちばん腹がたつのは、本当に責任のあるものたちが、のうのうとしていることだ。そもそも「こんな世の中にしたのは誰か?」といえば、それは、新自由主義政策を野放図にすすめてきた、ここ十数年の政府である。もちろん、なにもかもすべて政府のせいだとは云えないので、ここではあえて「言いがかり」として云うが、「わるいのは政府である」。世の中がこんなになったのは「政府のせいである」。政府は「自己責任だ」といわせたいだろうが、そうはいかない。「わるいのは政府である」。誰がなんと云おうと「政府のせいだ」、というふうに、あえて「分からず屋」になって、そこから話をはじめないと、ますます政府の思うつぼである。行き場のない憎悪や暴力が、何の責任もないものに向かってしまう。たとえ、それが「言いがかり」であったとしても、国民がその不満をまず真っ先にぶつけてよいのは政府である。国民が誰を責めてよいか分からないとき、遠慮なく、八つ当たりをしてよいのは政府である。そうした国民の不満や八つ当たりをうけとめ、ひきうけるのが政府の義務であり、国民には政府に言いがかりをつけ、八つ当たりをする権利がある。その言いがかりを正し、不満を解消するために、年末だろうが正月だろうが、朝から晩まで、きりきりまいし、てんてこまいするのが、政府の仕事のはずである(そうじゃなかったら、ほかになにがある)。こまるのは政府がその義務を果たさず、国民がその権利を行使しないことである。必要なのは、政府に責任のがれをさせず、こんな世の中にした歴代政権(第一次小泉内閣・第二次小泉内閣・第三次小泉内閣・安倍内閣・福田内閣・浅生内閣)の責任をみっちり問い詰めることである。「もし今度また同じようなことをしたら絶対にゆるさない」ということを思い知らせることである。そうすれば、少しは懲りて、不況への対応策も、いまよりはちょっとくらいましなものになるはずである。逆にそうしなければ、いずれまた同じことがくりかえされるだけだ。そもそも、いまの無能な政府に、この不況を解消できるとははなから期待してない。いっそのこと粉々になって跡形がなくなるまで、何度でも何度でも解散したらよい。政局が混乱しようが、しまいが、どうせなにもできないだから、同じことだ。いずれにせよ不況はすぐには終わらない。ともかく今は、これから生まれてくる不満や怒りの矛先を、その然るべき相手に対してただしく向けること、決してその相手をまちがえないこと、市民同士が憎みあったり、おそれあったりしないことだ(責任のがれの常套手段は「テロリスト」のような「民衆の敵」をでっちあげ、内紛や分裂をつくりだすことである)。それを来年に向けて切に願わずにいられない。
来年は年齢・性別・職業・趣味をこえて人と仲よくしよう。

厄疫の年、もはや平坦ではなくなった戦場で、あははと笑って生きのびるために。

[参考]
「私、中谷巌は、いま、これまでの自分の主張が誤りだったと率直に反省しています。1990年代、細川内閣や小渕内閣で首相の諮問機関のメンバーだった私は、規制緩和や市場開放の旗を熱心に振り続けました。そして小渕内閣の「経済戦略会議」議長代理として発した提言は、その後、同会議の委員だった竹中平蔵さんによって引き継がれ、彼が小泉内閣で政策立案の中心人物となったときに、小泉構造改革の一環として実現していきました。小泉構造改革は日本にアメリカ流のグローバル資本主義を持ち込みました。間接的にですが、その改革に参画した私は、小泉・竹中氏同様、日本社会に構造改革を持ち込んだ張本人なのです。しかし、いきすぎた構造改革は日本社会の良き伝統を壊す強烈な副作用を生み出しているように思われます。貧困層の増大、異常犯罪の増加、ぬくもりのある社会の消失などです。「これはいけない」と、私は自らの主張が誤りだったと悔恨の念を持っています。 「すべての改革が不要だった」と言っているわけではありません。ただ、改革は人々が幸せになるための手段です。構造改革で日本人は幸せになれたでしょうか?多くの人々を不幸に陥れてしまう改革は、改革とは呼べないのです。」(中谷巌「小泉改革の大罪と日本の不幸/格差社会、無差別殺人~すべての元凶は「市場原理」だ」)

「私たちの毎日は、「この人、あの人」と名指せるような家族・友人・同僚らとの身近な関係の中にあり、その一人が苦しんでいれば心ざわつき、死ねば悲しい。それが私たち市民の日常であり、その平凡な生活を守るのが政治の役割に他ならない。難しそうな顔をして国家財政の危機を語る政治家に、私たちは一瞬もひるむことなく、「この命、この生活を守れないならば、あんたは政治家失格だから退場しなさい」と言っていい。結局、私たちはナメられてきたのだ、と思う。自らの責任を棚上げしたところでの自己責任論や、情報公開なき財政危機論で黙らせられる、と見くびられてきた。私たちに責任があるとしたら、そこにこそ責任がある。私たちは、どんな悪政にも黙って付き従う羊の群れではない、と示さなければならない。政権を担う人たちには、.私たちを恐れてもらわなければいけない。そのとき初めて社会は健全となり、悪化し続けてきた世の中に、折り返し点がもたらされるだろう。主権は民に在る。私たちはもう一度、その原点を思い起こすべきだ。」(湯浅誠「結局、私たちはナメられてきたのだ、と思う。」より)
by illcommonz | 2008-12-31 20:39
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