はじめに、ふた、ありき
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「女三人よれば、という、それにちがいなかった。 女たちは、沖仲仕(おきなかし)をしていた。 亭主たちは漁師で、樺太へ出かせぎにいっている。 その樺太からの送金が、ここにきて切れてしまった。 今年は豊年で、魚の値が暴落したからである。 そこにきて、米のねだんが毎日のように上がっていった。 家族を六人も七人もかかえて、一升三十銭の米でさえ、 買いきれなかった。 ここのところずっと粥だった。 粥腹での沖仲仕はきつかった。 三人の女たちには、どうして、 こんなに米が上がるのか、わからなかった。 わかっているのは、このままでゆけば、 二度の粥が一度になり、それもかなわずに、 やがて飢え死にするしかない、ということだった。 米をよその土地に売るから、米のねだんが上がるのでは なかろうかと三人の女たちは考えた。 あれをやめてもらおう、三人の女たちは、 そうきめて、腰をあげた。 一九一八年(大正七年)七月二十三日の朝である。 富山県魚津港の海岸に、きのうの三人の女をふくめて、 四十人ばかりの女たちが集まったが、 まもなく巡査にどなられて解散した。 しかし、あとになって考えると、これが、 明治維新このかた、もっとも規模が大きく 激しい暴動だといわれる米騒動の導火線につけられた 一本のマッチの火であった。 この三人の女たちをふくむ魚津の漁師の女房たちは こえて八月五日、こんどは百人をこす人数となって、 ふたたび蜂起している。 八月六日は、この女房一揆のなかで、 いちばん〈暑く長い夜〉となった。 東西の水橋町と、滑川町の女たちが連合して、 その数二千をこえ、金きり声と怒声が 夜明けまでつづいて、いたるところで 凄惨な光景をくりひろげた。 女房一揆は、カタカナ漢語の多い議論の末に 決定された戦術でもなければ、中央からの指令で、 組織を動員したデモでもなかった。 あの三人の女をふくめて、この一揆に加わった 〈嬶(かあ)さん〉たちは、おそらく、 〈闘争〉という字も、〈搾取〉という字も、 だれひとりとして、読むことも 書くこともできなかっただろう。 この女たちは〈アタマ〉で考えて、 たたねばならぬと結論して、 一揆に加わったのではなかった。 女たちは、ながいあいだ、 じっと歯をくいしばって、こらえてきた。 女とは、こらえるものだ、と教えられてきた。 こらえる限界はとっくにすぎていて、 それでもこらえていた。 粥腹でよろめく足をふみこらえて、 重い荷物を、はしけから本船へ、 本船からはしけへ運んでいた。 そうしなければ、その粥さえ すすれなかったからである、。 そうして、こらえて働いて、 それで三度の粥をたく 米さえ買えぬ、となって、 女たちは起ち上がった。 女たちの一揆には、旗はなかった。 労働歌もシュプレッヒ・コールもなかった。 鉢巻もなかった。乳呑児を背中にくくりつけ、 こどもの手をひき、老婆は杖にすがっていた。 女たちは、町長や米問屋や資産家を つぎつぎに襲って、米をよそに売らないでくれ、 とたのんだ。家の前で、土下座してたのんだ。 途中で、巡査や役場の書記が、解散させようとすると、 女たちは口々に、わかりました、といった。 わかりました、と口々にいって、前進していった。 そのとき、あの三人の女たちも、 ほかの町の〈おばば〉たちも、 おれたちは盗人じゃない、 一合の米も盗んではならぬと下知(げち)した。 事実、一粒の米も、失われなかった。 米屋や有力者には、もしじぶんたちの 言い分をきかないときは、家に火をつけ、 家族をみなごろしにするといったが、 この女房一揆を通じて、 焼き打ちされた家は、一軒もないし、 怪我させられた家族も、一人もなかった。 仲間の何人かが検挙されると、 そのときの全員が、派出所や警察の前にすわりこんで、 罪があるのなら、おれたち全部をひっくくれと、要求した。 この小さな火は、もう日本中に、つぎつぎとひろがっていた。 全国三十三の市と、二百十二の町村で暴動が起こり、 焼き打ち略奪が続き、六十の市長で軍隊が出動し、 市街戦となって、銃剣で刺される者さえ出た。 検挙された者、合計八千百八十五人。 ついに九月二十一日、寺内内閣は、 その責任をとって総辞職した。 魚津の、あの三人のおばはんが、 永久に続くようにみえた 官僚軍閥内閣をついに倒したのである。 それにしても、あのとき、 女房たちが夜中に必死になって、 デモをかけていたとき、その亭主たちは、 いったい、なにをしていたのうだろうか。 まさか、全部が出かせぎにいって 留守であったわけはないのである。 男は物ごとを〈アタマ〉で考えるが、 女は〈性器〉で考える、という。 これを言い出したのは、たぶん、男だろう。 そして、だから、女は度しがたい、 始末に負えないのだ、と言いたかったのだろう。 たしかに、男は、いつでもアマタで考えて リクツをこねまわしている。 日本がこんどの戦争でまけたとき、 日本人の大半は栄養失調になっていた。 男たちは、気がぬけたように、 へたへたと坐りこんでいた。 口をひらくと、民主主義がどうの、 占領政策がどうの、とリクツをこねた。 いくらリクツをならべても、 腹の足しにはならなかった。 あのとき、それを救ったのは、 マッカーサーでもなければ、 日本政府でもない。 それを救ったのは、 米や芋をつめたリュックを背負い、 何キロの道を歩き、巡査の目を盗み、 何時間も機関車にぶら下がった女たちだった。 〈アタマ〉で考えない、始末に負えない女たちだった。 北富士の演習場の着弾地に座りこもう、 とおもい、それをだまって実行したのは、 その始末に負えない忍草の女たちであった。 三里塚で、わが身を鎖に巻きつけて、 機動隊に引き抜かれるのに抵抗したのも、 その度しがたい女たちであった。 いま、日本では、自民党の内閣が、 入れ代わり、立ちかわり、 大して変わりばえのしないのに、 もう二十年あまりものつづいている。 野党は、揚げ足をとるばかりで、 じぶんたちが政権をとったら、 どういう政策をやるのかさえ 言う気力がない。 インテリさんは、ひどい時代になるぞ、 とぼやきながら、わかり切ったことを、 むずかしい言葉で言いまわして、 ぼけっとしているだけである。 〈アタマ〉で考えない、だから、 度しがたく、始末に負えないものよ、 のこされた望みは、もう君たちにしかないのか。」 (「暮しの手帖」1972年夏号) ▼花森安治「内閣を倒した無学文盲の三人の女たち」 http://illcomm.exblog.jp/4032884/ 「イルコモンズのふた」(2006年10月19日)
by illcommonz
| 2009-01-21 13:40
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