「そして、最近特に思うことが多くなったのは-何の罪もない人たちの体と心が、瓦礫と化した家と同じように押しつぶされて土埃になっていっているというのに、あれだけたくさんの人たちが無関心でいられるのはなぜなんだろう? 満ち足りてのんびりと日々を送っていられるのはなぜなんだろう? 立派な生活を送っているそんな人たち-手足がなくなったわが子の体を自分の腕に抱いたことなど一度もなければ、これからも決してありえないだろうそんな人たちは、でも、なぜか忙しくて、抗議の手紙一通書く暇も、抗議の署名をする暇も、抗議のデモに参加する暇もないのだ。この人たちには、はたしてわかっているのだろうか……沈黙が、爆弾や銃弾と同じくらい確実に大勢の人たちを殺しているのだということが。」
▼ムハンマド・オマル(2005年)
「私の家を壊したのはなぜだ、シャロン!? レインボー作戦から1年がたって」より抜粋
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翻訳:山田和子
初出:Washington Report on Middle East Affairs, August 2005, pages 22-23
原文:http://www.wrmea.com/archives/August_2005/0508022.html
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「愛」の反対語は「憎しみ」ではなく「無関心」だという人もいる。
「曖昧な無関心」が「殺伐とした無関心」にみえてくることもある。
そんなふうにみるのはやめようと、いくらそう思いなおしてみても、
そうみえることが最近特に多くなってきた。