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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「希望の糧」
▼「希望の糧」_d0017381_1303030.jpg
1月26日付のBBCのニュースに掲載されたAP通信配信の写真。
(撮影日時も場所も記されてないが、おそらくガザのものだと思われる)

この写真をみて、心がふるえた。二十二日間ものあいだ、あれほど凄まじい破壊と残虐な殺戮の嵐にさらされ続け、あれほど多くの尊いものが失われ、あれほど多くのものが徹底的に燃えつくされた、その後に、それでもなお、ひとはこうやって、子どもを抱きかかえ、こんなふうに顔をあげて、立っていられるのかと心底そう思った。この小さな写真からは、この女性がどんな表情をしているのかよみとることはできない。抱きかかえた子どもが彼女の子どもなのかどうかもわからない。いつ・どこなのかさえよくわからない。しかし倒壊した建物と瓦礫の山をみれば、そこが徹底的に破壊しつくされたばかりの場所であることはわかる。廃墟のようなその場所の、固い地面を両足でしっかりふみしめ、すっくと立った女性のそのゆるぎない姿勢には、どんなに破壊されようと決して奪うこともできなければ消すこともできない強い意思と力を感じる。おそるべき惨事を生き延び、こうやっていま・ここで、子どもと共に生きて立っていることこそ、暴虐なる占領者たちに対する最大の抵抗なのだ、どんなことがあっても、この土地と子どもたちをまもりぬく、と無言でそう示しているようにみえる。「パレスチナを考える」ことをやめないのは、パレスチナがひどい目にあっているからではない。気の毒だからでも、かわいそうだからでもない。そうではなく、これほど長いあいだ理不尽な占領を受け続け、くりかえしくりかえし攻撃され、破壊され、殺戮され、陵辱され、自由を奪われ、そのうえさらに、国際社会の無関心と無理解にさらされ続けながら、それでもなお、パレスチナが抵抗することを決してやめない、その不屈の人間精神に敬服するからだ。どんなにうちのめされ、どんなに希望をうちくだかれても、決して抵抗することをやめないその姿勢に、自由と正義と生をもとめ続ける人間の潜勢力(ポテンシャル)をみるからだ。「パレスチナを考える」ことは、中東地域の政治や世界情勢を考えるにとどまらず、それをつきぬけた先にある、「人間とはなにか」という根源的な問いを考えることだ。いったい人間はどこまで残虐になれるのか?人間はどこまで憎しみあうのか?人間はどこまで抵抗し続けることができるのか?あるいは、ひとはどこまで無関心になれるのか?ひとは歴史から学ぶことができないのか?ひとは憎しみをこえて和解することができないのか?「パレスチナ問題」とは、「政治」や「紛争」の問題であるのみならず、「芸術」や「文学」や「哲学」がつねに問いつづけ、そしてなにより、あなたやわたしたちが、みな同じくそうであるところの、あの「人間」の問題なのだ。もういいかげん、人間に絶望すべきなのか?それともまだ、希望をもつべきなのか?その問いのこたえが、パレスチナで起きることと、それをめぐって世界で起きることのひとつひとつに賭けられている。もちろん「人間とはなにか」ということを考えなくても人間は生きていけるが、「人間とはなにか」ということを考えないと生きた心地のしない人間もいる。それは絶対知や見えざる力に「信」を置いてないからで、頼れるものが人間しかいないからだ。そういう人間からすると、この22日間にパレスチナで起きたことは、人間への「信」や「希望」をそこなわせるものだった。この「希望」ということばで思い出すのは、イスラエル軍が空爆をはじめた日にガザから届いたという、あるメールのことである。そのメールの最後に、こう書いてあった。

 「私は、今晩、家でじっとしていることができませんでした。暗闇のなか、赤ん坊は泣き続け、母が停電のなかで、明日のパンをどうしようと叫んでいます。それに耐えられず街のインターネットカフェに来てしまいました。ニュースを見続け、何か希望の糧になるものはないか?と探しています。また、連絡します。」(「空爆のガザから」2008年12月27日)

ガザの街の「インターネット・カフェでニュースを見続け、何か希望の糧になるものはないか?と探して」いる人がいる、ということ、これがはじまりだった。すぐにYouTubeに映像をアップし、世界の抗議デモの映像をやみくもにかき集めてつなぎあわせるなど、ネットの上でできることを懇々とやりはじめたのは、このメールのことが頭からはなれなかったからだ。たとえ、ことばは分からなくても、映像なら伝わることもあるし、デモの映像をつないだものが、ネットのどこかでつながって、メールの発信者の目に届くことだってあるかもしれない。攻撃の続くあいだは無理だとしても、攻撃が終わった後なら可能性はゼロではないだろう。そういうほとんどゼロに等しいがゼロではない希少な可能性に望みに託して、やってみることにした。そうするうちにだんだんと自分が、ニュースを見続け、何か希望の糧になるものはないか?と探しものをする人のようになってきた。「希望の糧」に飢えたネット上の徘徊者のようになってきた。「あなたのおこなう行動が、ほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければなりません。それは世界を変えるためにではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためにです」という、ある日のブログに書きつけたガンジーのことばは、ほとんど無意味かもしれないそのことを、やりつづけるためのものだった。結果として「希望の糧」になるようなものは見つからず、このへんで一度、休止しようと考えた矢先にみつけたのが、冒頭の写真だった。ガザに「希望の糧」となるものを送り届けるつもりが、逆にガザから「希望の糧」となるものをもらう格好になってしまったが、この「糧」はどんなに分けてもへらないし、分ければ分けるほどふえるものだと思うので、最後にもう一度(そして、たぶんこれから何度も何度もそうすると思うが)、ここにリブログしておこうと思う(これで今晩はゆっくり眠れそうだ)。

▼「希望の糧」_d0017381_5121624.jpg
by illcommonz | 2009-01-28 05:19
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