はじめに、ふた、ありき
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▼ナオミ・クライン「みんな出てゆけ(All of Them Must Go)」*抜粋 (「ネーション」2009年2月10日) 「アイスランドで、群衆がナベをたたき続けて、政府を倒すのを見ていて、私は、2002年、反資本主義者グループの間で人気があったシュプレヒコール「お前はエンロン。我らはアルゼンチン」を思い出した。このメッセージは実に単純だ。お前たち、経済サミットなどに集まって相談をしている政治家や社長連中、無謀な詐欺を行うエンロンの経営幹部(もちろん、我々はその半分も知ってはいない)。 我々、つまり戸外の群衆はアルゼンチン国民、不気味なことに我々のものによく似た経済危機のさなか、ナベをたたきながら街路に出て、彼らは叫んでいた。"Que se vayan todos!" (「みんな出てゆけ!」)。3週間の内に、立て続けで4人もの大統領の首を切った。アルゼンチンの2001-02暴動が独特だったのは、それが、特定の政党や、抽象的な腐敗に、向けられては、いなかったことだ。目的は支配的な経済モデル、これは現代の規制緩和された資本主義、に対する初めての全国的反乱だった。 ▼「第四次世界大戦 (Fourth World War)」 ▼2001年12月19日のアルゼンチンの乱 5分44秒から ▼鍋デモと「みんな出てゆけ」コール 7分33秒から 多少の時間がかかったものの、アイスランド、ラトビア、韓国からギリシャに至るまで、そして世界のその他の国々も、ついに "Que se vayan todos! "("みんな出てゆけ!")という瞬間を自分のものとしている。 ▼「今年1月20日のアイスランドでの政権打倒デモ」 (Riot at the Parliement building - protest january 20 2009 iceland) 禁欲的なアイスランドの女家長たちがなべが平らになるまでたたいている間、子供たちは、冷蔵庫の中から投げつける弾にするものをあさっていた(卵は結構だが、ヨーグルトはいかがなものか?)ブエノスアイレスで有名になった戦術の模倣だ。そして集団的な怒りも、同様に、かつては繁栄していた国を破壊し、懲罰を受けずに済むと思いこんでいた、エリート連中に向けられている。36才のアイスランドの会社員、Gudrun Jonsdottirが言っている通りだ。「こうしたすべてには、うんざりだ。政府など信用しない。銀行など信用しない。政党も信用しないし、IMFも信用しない。この国は良い国だったのに、連中が破壊したのだ。 もう一つの相似点がある。レイキャビックでは、抗議デモ参加者たちは、明らかに、幹部の首のすげかえだけでは(たとえ新首相がレズビアンであったとはいえ)抱き込まれはしなかった。彼らは、銀行だけでなく、国民に対する支援を望んでいたのだ。大崩壊についての捜査。そして、本格的な選挙制度改革。 何か、アルゼンチン風のものが漂っている。2001年、アルゼンチンの指導者たちは、危機対処策として、残忍な国際通貨基金が処方した、緊急経済対策をとった。これは、90億ドルの支出削減で、その多くは、医療と教育を対象としていた。これは致命的な過ちであることが分かった。労働組合はゼネストを計画し、教師たちは授業の場を街路へと移し、抗議デモは決して止まらなかった。 ここで、パターンは明らかだ。自由市場イデオロギーが生み出した危機に、信用を失ったまさにその同じ政策を加速して対処しようなどという政府が、生き延びて、苦労談など語れるはずがない。イタリアの学生たちが街路で好んで叫ぶようになった通りだ。「お前たちの危機の代金など、おれたちは払わん!」。 ▼「みんな出てゆけ」(▼「マスコミに載らない海外記事」より) http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-4975.html
by illcommonz
| 2009-03-05 01:20
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