人気ブログランキング | 話題のタグを見る
Top

いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
以前の記事
2019年 09月
2018年 07月
2018年 05月
2017年 11月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
その他のジャンル
記事ランキング
▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展
「文化人類学解放講座」より)

▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展_d0016471_7111441.jpg
▼[空想の美術/博物館] イルコモンズ監修「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展
フレッド・ウィルソン「防衛の景観」/スーザン・ヒラー「ラスト・サイレントムービー」「フロイト・ミュージアムから」/ルネ・グリーン「サ・マイン・シャルマンテ」/イルコモンズ「大阪市立近代美術のアナーキスト・インフォショップ」「イルコモンズミュージアムから」/ジョセフ・コスース「ひとつと3つのイス」「来訪者と異邦人・ルールと意味」/ローター・バウムガルテン「未整理の事物」/クレメンティーヌ・デリス「メトロノーム第10号」/ヲダ・マサノリ「イマジン・アナザー・ピープル」「ギヴ・ピース/ピース・ア・チャンス」

▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展_d0016471_7273211.jpg▼「人類学者としてのアーティスト、アーティストとしての人類学者」
「人類学者は共同体の一部ではない。彼はみずからが研究する文化の外側にいる。研究対象である人びとに対して彼が何か影響をあたえるとしても、それは自然現象が人びとにあたえる影響と同じ程度のものである。人類学者は社会的枠組みの一部でもない。かたや、「人類学者としてのアーティスト」は、みずからが身を置く社会・文化的な文脈の内部でものごとを操作し、展開させようとする。社会の中にしっかり浸かっているゆえにそれは社会的なインパクトを与える。そしてアーティストのさまざまな活動が文化を具現するのである」(ジョセフ・コスース)

▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展_d0016471_8322730.jpg

▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展_d0016471_7474876.jpg▼「全世界を異郷と思う者」
「故郷を甘美に思うものは、まだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられるものは、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。」(サン・ヴィクトルのフーゴー)

▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展_d0016471_820202.jpg▼「アドルノのアイロニー」
「わたしたちは、自分の故郷や言語を「当然」のものとみなすので、それらは「自然」なものになるが、それらを支える諸前提は気づかれることなく、ドグマや正統思想になる。したがって、自分の家でくつろがないことは、道徳の一部であるのだ。」(エドワード・サイード)

▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展_d0016471_8314914.jpg

▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展_d0016471_7274347.jpg▼「分裂し自転する別の科学、あるいは、アルタナティヴな学問」
「民族学がもつ矛盾は、それが科学であると同時に、未開人についての科学であること。すなわち、民族学はまったく利害にとらわれず、他の学問的活動よりもヨーロッパの科学思想をより実現しながら、ヨーロッパから最も遠くにあるものを対象に選ぶところにあるのだ。結局、驚くべきことは、民族学が可能だということなのである。民族学は、一方ではわれわれの文明の真髄につながり、もう一方ではそれと少しも関係のないものにつながっている。そしてそれは(...) 民族学者自身と対象とのあいだの矛盾を明らかにする。(...) 人間の科学である民族学は、いわば、生まれながらにして、科学の要請に合致している。というのは、民族学は分裂した宇宙のなかで自転しているからだ。(...) この分裂の経験にもかかわらず、あるいは、むしろその経験そのもののおかげで、民族学は、西欧文明と未開文明とのあいだに設けられた唯一の橋であるようにみえる。つまりもしこの両極のあいだにまだ対話が可能であるとすれば、西欧にそうした対話をはじめさせられるのは、民族学なのである。もちろん古典的な民族学ではだめだ。しかし、いまひとつの別の民族学にとっては、それのもつ学識が、限りなくゆたかで新しい言葉を鍛えあげることを可能にするだろう。したがって、ある意味で。民族学が科学であるとするならば、民族学は同時に科学とは別のものでもある」(ピエール・クラストル)


▼ブルース・ナウマン「人類屋/社会屋(anthro/socio)」
[ナレーション] 
FEED ME!! EAT ME!! ANTHROPOLOGY!!
HELP ME!! HURT ME!! SOCIOLOGY!!
FEED ME!! HELP ME!! EAT ME!! HURT ME!!

▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展_d0016471_734250.jpg▼「民間学へ」
「国家とか国境で区切ってこないような、そういう学問をたてられないだろうか。さらにいえば、これまでの学の体系というのは多かれ少なかれ、強者の考え方、強い人たちの考え方を反映しています。先ほどから、女、子どもとかいう言葉、何回もでてまいりましたけれども、そういう風なことから言うとですね、オモテ学に対して、ウラ学というものを立てることができるのじゃないか。最近会った優れた日本史学者によると、この学問では、ケース付きのA版の書物を書かないと、学者として一人前ではないのだそうだ。これはずいぶんと固苦しい自己規定だなと思う。それに学者たちが紀要、研究誌に発表している文章になんと悪文が多いことか。これはほとんど完全に、民衆、読者を無視した態度だ。アカデミズムのありようがこのようなものであるのなら、私はますます反対の方向へ進みたくなる。私の思考の根底には、アカデミズムへの違和感がある。私は、民間学固有の方法など無いと思う。民間学とは、学問を中心とした、おそらく日本特有の、集団行動への批判である。それは思想や知的運動の態度であって、方法の問題ではない。方法の問題として立てると、またまた洗練や抽象の方向へ向かってしまって、せっかくの生きいきした生命力が失われてしまう。民間学は、いくらか野暮ったくあいまいさを残したレベルにとどまった方がよい。それがアカデミズムを批判する、かそけき方法である」(鶴見良行)

▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展_d0016471_8155662.jpg▼「言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ」
「あらゆる時代のもの書きたちをまとめて折りたたみ、ラジオ放送や、映画のボイストラック、テレビ、ジュークボックスの曲を録音し、世界のあらゆることばをセメントミキサーでかき混ぜて、レジスタンスのメッセージを注ぎこもう。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」たち、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ。写真がおちる、ことばがおちる、万国のパルチザン利用、目標オルガズム放射線装備、スウェーデン、イエーテボリ、座標は8・2・7・6、スタジオを撮れ、台本を撮れ、死んだ子供を撮れ、全ミサイル発射。被害を見きわめるのは簡単だった。台本は破壊され、敵の兵隊は壊滅状態。完全レジスタンスのメッセージが世界中の短波放送で流れる。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ」(ウィリアム・バロウズ)

▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展_d0016471_844175.jpg
by illcommonz | 2009-05-01 04:29
<< ▼著者近影 ▼職場にある >>