はじめに、ふた、ありき
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▼「クラ/西太平洋の遠洋航海者」 [監督] 市岡康子 [プロデュース] 牛山純一 [ナレーション] 久米明 [音楽] 佐藤勝 1971(昭和46)年 67分 カラー 今週の土曜は「文化人類学解放講座」前期の最終講義です。最後の講義では先週にひきつづき、トロブリアンド諸島の「クラ」についてのドキュメント映画をみて、文化人類学/民族学という学問の「最終的な目的」やその「最大の報酬」そして「可能性」について話します。 「クラは不安定な内密の交換ではない。それは偶発的に行なわれるのではなく、前もって決められた日に規則的におこなわれ、きめられた約束の場所に向かう一定の交易ルートにそっておこなわれる。何千人という人びとを二人づつ組み合わせ、共同関係にまとめあげることを根本としておこなわれる。この共同関係は一生つづくものであり、さまざまな特権や相互的な義務をふくみ、一種の大規模な部族関係をなしている。クラの主な目的は、実用性のない品物を交換することにあるのだから、必要にせまられておこなうものではない。クラは余分な粉飾をとりのぞいた、そのぎりぎりの本質においては、きわめて単純なことがらであり、一見すると平凡で退屈にさえみえるかもしれない。結局これは、もともと装飾用につくられながら、決して日常の装飾としては使われない二つの品物を、無限にくりかえして交換することにつきる。しかし、ふたつの意味のない、まったく無用な品物をつぎつぎに交換するというこの単純な行為が、部族間にまたがる大きな制度の土台となり、ほかの多くの活動をともなってきた。神話や呪術、伝統が、クラをめぐる一定の儀式の形式をつくり、原住民の心にクラの価値とロマンスのひかりを与え、この単純な交換への情熱を彼らの胸のうちに注ぎこむのである。」 「こうした遠い国の習慣をみていると、これらの原住民の野心や努力に対するある連帯感が胸のうちにうまれてくるだろう。かつてたどったことのない道にそって、人間のこころがあきらかになり、迫ってくるだろう。わたしたちとは遠くはなれ、不思議な恰好をしてあらわれた人間性を理解することによって、わたしたち自身にもまた光があてられるだろう。それだからこそまた、これら原住民とその制度や習慣を理解したかいもあったし、わたしたちはクラから利益を得た、と感じる根拠ができるだろう。」 「原住民に関する研究で、ほんとうに私の関心をひくものは、彼らのものごとに対する見方や世界観であり、原住民がそれによって生きていく生活とそこで呼吸されている現実の息吹きである。あらゆる人間の文化は、その文化をつくる者たちに、一定の世界観をあたえ、はっきりとした人生の意味を示してくれる。人間の歴史をめぐり、地球の表面をさまよい歩いてみて、私の心をもっともとらえ、異文化にしたがって、異なるタイプの人間の生を理解しようという気持ちにならせたのは、人生と世界をさまざまな角度からみる可能性だった。人間の科学にとりくめるかどうかをきめるのは、さまざまな文化の多様性と独自性に愛情を感じるかどうかである。私たちの最終的な目的は、私たち自身の世界の見方をゆたかにし、深化させ、私たち自身の性質を理解して、それを知的に、芸術的に洗練させることにある。」(B・K・マリノウスキー「西太平洋の遠洋航海者たち」より) ▼「Kula- Ring of Power」(「クラ 島々をめぐる神秘の輪」) マイケル・ベルソン監督 1992年 スカイビジュアルズ制作 52分 [推薦] この作品は下記のムービーサイトで全編視聴することができます。(ただし日本語字幕なし) http://www.joost.com/351ksc0/t/Kula-Ring-of-Power 「1998年、シナケタ村で上映会を開くべく27年ぶりに村を訪ねた。このときは8ミリのビデオテープをつくり、小型発電機を持参して、ビデオ映写金で毎晩上映することにした。3泊4日の短期の訪問なので厳密な観察ではないが、村の様子は驚くほど変わっていなかった。フィルム上映会は大きな関心を持って迎えられた。クラに参加した者はもちろんだが、若い世代にとってはカヌーで船団を組んでクラに行くことが新鮮だったようだ。出発のシーン、カヌーが一団となって帆走するシーン、空から撮ったカヌー群などには歓声があがった。1998年当時シナケタ村は南方つまりボワヨワ半島へのクラを計画していた。27年前にわたしたちが同行したルートが。問題は船である。トロブリアンド諸島の離島であるキタヴァ島にはまだ外洋カヌーがあっあが、この頃にはキリウィナ村ではほとんどなくなってしまったようだ。マリノフスキーが調査した1910年代に比べれた、権力や威信、個性などの点でマイナーになっていたが、それは代が変わるたびにますます小粒になっていくようだ。競争のクラ、ウヴァラを組織して村をあげてクラに行くには、いまやエンジン船をチャーターするしかない。島民のクラに対する熱中ぶりは30年前と少しも変わらないが、クラを実行するのは現金が必要になってきたのである。「クラはつづいていくだろうか?」というわたしの懸念に、遠征に同行したトリワガはこう答えた。「もちろん、なくなりはしない。祖先の時代と同じく、習慣は残る。クラも同じだ。変わったのは現金が要ることだね。エンジン船で行こうが、カヌーで行こうがすることは同じだ。カヌーで行っていた時は、3、4ヶ月もかかったが、エンジン船なら旅行は短くてすむ。だから若い連中はエンジン船のほうを好む、トロブリアンド諸島の限らず、一般にパプアニューギニアでは、伝統や習慣が大切にされている。そこそこに交通も開け、したがってものや金も流入してはいるのだが、30年近くたっても、島には目に見える大きな変化がなかった。それは急速な近代化の波に洗われなかったせいかもしれない。"与えることによって所有する"という独特な価値観を突き崩す大変動が起きない限り、クラは生き続けると思う」(市岡康子「KULA貝の首飾りを探して南海をゆく」より) 「民族誌学者が見失ってはならない最後の目標は、原住民のものの考え方やその生活との関わりを把握し、世界についての見方を理解することである。私たちは人間を研究しなければならない。人間の最も本質的な関心、いいかえれば、人間をつかんでいるものを研究しなければならない。文化が異なるにしたがって、価値はすこしづつ異なっている。人びとはそれぞれ異なった目標を追い求め、異なった衝動にしたがって、異なったかたちの幸福にあこがれる。そうした幸福の実質がなんであるかを理解したいという気持ちを持たずに、制度や習慣、法律を研究したり、行動や心理を調べることは、私にいわせれば、人間の研究から期待することのできる最大の報酬を失うことである。」 「偏見と悪意と復讐心がヨーロッパ諸国の人びとのあいだを引き裂き、文明・科学・宗教の最高の成果とされ、称賛されてきた理想を風に吹き飛ばしている。こうした今日の時代ほど、文明社会が心の余裕を必要としている時代はない。人間の科学は、もしそれが徹底的に洗練され、掘りかえされるなら、他者のものの見方のうえに立脚した広い知識と寛容さと、心のゆとりを私たちに与えてくれるだろう。民族学研究は、科学的研究のなかでも、最も深い意味において哲学的で、啓蒙的で、高度な学問になる可能性がある。だが、悲しいことに、民族学にとって時間はかぎられている。この学問の真の意味と重要性が手遅れにならないうちに、ほんとうにわかってもらえるのだろうか?」(B・K・マリノウスキー「西太平洋の遠洋航海者たち」より) 「人類学はあらゆる種類の地球的会話のために知的フォーラムを提供する上で、理想的な位置にあるにもかかわらず、それを実行することへの抵抗埋め込まれている学問なのだ。人類学者はたちは、研究対象としての社会をロマンティックにみていると非難されることをおそれている。人類学者たちは、自分自身のみじめな植民地主義の歴史に由来するためらいを乗り越えなければならない。そして、彼/女らがその上に連座しているのは罪深い秘密などではなく、人類の共有財産なのだということを理解しなければならない。」(デヴィッド・グレーバー「アナーキスト人類学のための断章」より)
by illcommonz
| 2009-07-02 21:45
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