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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
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▼この時代の想像力
d0017381_23103015.jpg「月刊オルタ」で連載中のコラムにミャンマーのことを書いた。内容はこのブログに書いてきたことをまとめたものである。本来この「もうひとつの世界はいつでもとっくに可能だ」というコラムは、「もうひとつの世界は可能だ」というグローバル・ジャスティス・ムーヴメントの合言葉は決して夢物語ではなく、マスメディアが撒き散らす過剰な情報にうずもれ隠されてしまってるだけで、そういう世界はすでにあちこちでとっくに実現されていることをレポートするものなのだが、しかし、こないだの「原爆しょうがない」発言のようなことが起きると、コラムの趣旨をはずれて、優先的にそれについて書くようにしているので、今回もそうした。逆にいえば、こうしたパブリックな言論の場をもっているのに、それを使わないでいるのは、よくないことだと思うし、さいわい編集者もそれをゆるしくてくれる。ということで、今回はミャンマーの軍事政権がやったことに対して抗議する内容のものを書いたのだが、どうも満足がいかない。なにか足りない気がする。いろいろ考えてみた結果、足りなかったのはこういうことばだった気がする。

「ミャンマー軍事政権の野郎、世界なめんなよ!」
(DEMOCRACY FOR BURMA!!)
SEIKO ITO,WRITER, JAPANESE,2007/9/27

その署名に読めるとおり、これを書いたのは、いとうせいこうで、これはブログに書かれたものである。つまり足りなかったのは、こういうストレートな怒りの表明で、こういうときは、政治家がやるような「不快感の表明」ではやはり足りないのだ。このあと、文章はこう続く。

「ミャンマー人が自分の国の名で検索をかけたとき、他国からメッセージが出ているとわかることがどれほど彼らの命がけの運動を励ますかしれない。もちろん誰も見なくてもいい。世界に働きかけうるという可能性は、先験的に立証されている必要がない。我々は単に考えたことを発言し、するべきだと思われることをするべきだ。あちこちのブログで、ミャンマー市民への支援メッセージが出ることを望む」

「ミャンマー人が自分の国の名で検索をかけたとき、、、」という、こういう思考こそがいまのグローバルな世界に対するリアルな「想像力」であり、いまのこの時代に必要なものだと思う。「命がけの運動を励ますかしれない」という考えは、決して夢物語ではなく、いまの時代には現実にあり得ることだ。イルコモンズもそう考えて、ものを書いたりつくったりするようにしている。どんなにその可能性は低くても、それは「あり得る」ことで、たとえなくても、こういうときの無駄はおそれないし、そこではミャンマー人だけでなく、アフガン人が、イラク人が、レバノン人が、と考える。さらに「運動を励ます」だけでなく、もっと先のことまで想像してしまう。たとえば、これから何年か後にミャンマー人に会ったらとか、アフガン人の友だちができたらとか、イラク人の家によばれたらと考え、そのとき「ところで、あの時、君はなにをしてたの?」とたずねられたとき、返答にこまらなくてもすむように、気まずい思いをしなくてすむように、文章でも映像でもブログでも、そのとき自分にできることを、計算不能な未来にむけてそうするようにしている。いまや世界はそんなふうにつながっていて、これからもまだとうぶん世界はつづいていくのだから。とはいえ、僕らはそのことをよく忘れるので、このエントリーは、そのことを忘れたときのために書いた。
by illcommonz | 2007-10-15 00:03
▼博多の人類学(者)
d0017381_191342.jpg(先週の)日曜日は、一橋大学でひらかれた「人類学バトル・ラウンド3」に出席。今回は「ポストコロニアル論争は人類学の自殺行為に等しかった」が争点。この争点をめぐって賛成派と反対派に分かれた四者間での討議が行われた。討議終了後、場外からの発言・意見・感想を経て、参加者全員による「反対・賛成」の投票が行われ、多数決によって勝敗が決した。結果から云えば、「反対」が「賛成」をほぼダブルスコアで制した。つまり「ポストコロニアル論争は人類学の自殺行為に等しくはなかった」ということだが、このバトルの興行主みずからが評決の後に述べていたように、「歴史的にみれば多数派による決定が常にただしかったわけではない」(たとえば「アラバマ物語」をみよ)。もともと多数決が大嫌いなイルコモンズは、結局、今回も投票を棄権したのだが、興行主のこの意見には同意する。また今回、「反対」が多数を占めたので、少数派につきたがるイルコモンズとしては、今後は積極的に「賛成」にまわろうと思った。どうにもヘソ曲がりでこまった習性だと思うが、それが「イル」ということである。イルということで云えば、この日のバトルで「ヒール(=悪役)」を演じたのは、最後に登板した慶田氏だったと思う。「ポストコロニアル批判は人類学者自身の「植民地的想像力」によって物象化されたものにすぎない」という主張には、さすがにイスから転げ落ちそうになった。というか、「この人ときたら、まったく、もう、こまったもんだ」と思った(もちろん、この主張に場外から異議がとなえられたことは云うまでもない)。バラしてしまうが、慶田氏はイルコモンズの大学院時代からの知り合いで、ケニアで同じ時期にフィールドワークをやった悪友であり、ふたりとも九州生まれの福岡人である。慶田氏の大仰な話を聞きながら、「あああ、まったく、福岡の人間はこれだからこまる。なんでこんなにワイルドでラディカルでストレートなのだろう。どうして他の人たちみたいに、もっとスマートでエレガントでスタイリッシュにやれないのだろう」と呆れたが、土地の血というのはおそろしいものである。かつて鮎川誠が述べていたように「博多のもんな、横道もん、青竹割って、へこにかく」である。その血はイルコモンズのなかにも絶ちがたく流れていて、討論の後の場外発言でイルコモンズも、やらかした。「人類学者になりそこねた人間の立場から云わせてもらうと、ポストコロニアル論争が自殺行為だったか、そうでなかったかなんて、そんなことはどうでもいい。「ポストコロニアル論争以前の人類学がもともとどんな学問だったか」という問いに答えて云うなら、それは「解放の学問」だった。それまで自分が持ってた常識や価値観をぶちこわし、それから解放してくれる学問だった。それが今では「反省」ばかりしていて、いいかげんうんざりしてる。この10年のことを云えば、「こんなはずじゃなかった」というのが正直な感想で、「人類学者になりそこねてよかった」とすら思ってる。」というようなことを口走る始末。「あああ、まったく、福岡の人間はこれだからこまる」のは自分も同じだという罠。しかもこの発言は後日ネットに掲載されるらしい、あははのはである。まぁ、云ってしまったものは仕方がない。仕方ないついでに、反省もせず、さらに云えば、「ポストコロニアル論争は人類学の自殺行為に等しくはなかった」としても、いまそこにある「グローバリズムは人類の自殺行為に等しい」と思うので、自殺をまぬがれた福岡生まれの人類学者のなりこそねとしては、そこを自分のフィールドとし、文化人類学の現場主義でもってアクティヴにとりくんでゆきたいと思いながら家に帰った。その帰り道、ふと頭をよぎったのは、こんなフレーズだった。いまはもうやってないと思うが、むかし福岡ではこういうローカルCMがあった。

「博多には、安泰を祈る縁起かつぎやしきたりが今も息づいている。その中で育った博多っ子は、あけっぴろげで、人が好く、少しばかり大仰で、祭り好き。 粒あんをフレッシュバターでくるんだ粋な味、伝統に生きる銘菓、博多山笠、山笠があるけん博多たい!」

人類学者なら「他者からのオリエンタリズム的イメージの内面化」というかもしれないが、福岡の原住民としては、これはかなりあたってるのではないかと思う。もちろん、こういう「県民性」などというものは「文化とパーソナリティ論」と共に半世紀以上もも前に死滅したものだが、東京で暮らしていると、どうもそういうものがあるように思えてしまう。慶田氏なら「物象化」というだろう。たしかにそうだろうと思う。しかし、ここでもまた、反省せずに云えば、これはパタンではなく、ロマンである。つまり、こういうふうに生きたい、こういうふうにありたいというロマンであり、「失われたもの」というフィクションのもとに、つねにとりもどしたいと思うロマンであり、ポエジーである。ヴォネガットがそう証言していたように、かつての文化人類学は「科学のふりをした詩のような学問」であった。これもまたロマンかもしれないが、福岡人として云わせてもらえば、それでも「よかよか」である。そういう人類学があってもいいはずだ。博多もんのように、あけっぴろげで、人が好く、少しばかり大仰で、祭り好きな人類学があってもいいはずだ。寺山修司の詩にこういうのがある。

 「私が書く詩の中には、いつも汽車が走っている。だが私はその汽車に乗ったことがない」

これをもじって云えば、

d0017381_21585585.jpg「イルコモンズの人類学の中には、
いつも山笠が走っている。
だが、その山笠をかついだことはない。
でも、かついでみたいといつも思っている」。
と、これまた大仰な話ではあるが、
あははのは、まぁ、よかよか。である。

[追記1] 福岡のこの「よかよか。」ということばが持つ、ほとんど無条件的な肯定性と赦し、そしてそれが与える解放性は他の地方のことばには翻訳不能であるらしい(いちばん近いのは、ボブ・マーリーのうたにある「Everything gonna be alright」かもしれない)。もっとも、「よかよか」とはいっても、PC(ポリティカルコレクト)的に云えば、「政治的にただしくないこと」ですら「よかよか。」と云ってしまうのは、かなり問題だと思うが、しかし、この「よかよか。」にこれまでどれだけ救われてきたことか、と思うと、あたまごなしに否定もできず、ついついまた「よかよか」と云ってしまいたくなるという罠。イルコモンズがよく書く、「あははのは」とは、実は「よかよか」の枕詞であり、そこには「よかよか。」とまでは云わないが、「よかよか。」と云う心の準備がある、というニュアンスがこめられていることは、あまり知られていない、というか、自分でも、いま気がついた。

[追記2] もうひとつ云うと、福岡には「だいたいくさ、」ということばがある。この言葉が人の口から出たときは「やばい、これは、ただではすまないぞ」と覚悟をきめたほうがよい。これは、ものごとをその根本や原則、あるいはその発端やはじまりまでさかのぼって、そこからラディカルに反撃をしかけてゆくときの合図である。なにしろ、それまで「よかよか」だったものが、そこで一気に反転するのだから、これはおそろしい。しかも、この「だいたいくさ、」がはじまると、もうとまらない。それまで「よかよか。」といいながら、ぐっとためこんでいたエネルギーがそこで一気に爆発するのだから、たいへんである。山笠のように突っ走る。だから、この言葉をきくと、たいていの福岡人はびびる。イルコモンズもびびる(しかしそれは福岡人の得意技でもある)。この「よかよか。」と「だいたいくさ、」の弁証法的なダイナミクスについては、ぜひ身のまわりにいる福岡人(あるいは福岡族)にきいていただきたい。
by illcommonz | 2007-10-14 21:52
▼文化人類学解放講座3
d0017381_4271558.jpg次回の「文化人類学解放講座」では、
映画「ミッキーマウス、ハイチへゆく」と、
「ジャマイカ・楽園の真実」をみます。
それらの映像を通し、「アメリカの裏庭」
とよばれ、米国資本のグローバル企業に
搾取されてきた(そして今も搾取されている)
中南米諸国とそこに実在する「スウェット
ショップ」の実態について学び、21世紀
の「新たな植民地主義と奴隷制」について
考えます。

【参考文献】
ナオミ・クライン「ブランドなんかいらない」
小沢健二「うさぎ!(第1話)」
by illcommonz | 2007-10-14 04:28
▼「おばさんたちが案内する未来の世界」を見た人とこれから見る人へ
d0017381_3583315.jpg
映画「おばさんたちが案内する未来の世界/Old Ladies' Guide to the Future」に出てくる「南のおばさんたち」の語りは、「どうしてあんなにたくましく、そして、たのもしく思えてしまうのだろう」という、あの映画を見た人ならおそらく誰もが思うはずの疑問に対するひとつの可能なこたえ。
....................................................................................

「人がつながっているという安心感ほど、大切なものはない。一方、孤立して自信を失い、失ったものをお金で埋め合わせようとしているのが、現代の不安な暮らしだ。しかし、つながりをお金で埋められはしない。こればかりは、生身の産物だ。暮らしの中につながりを、なんとかとりもどす道筋を探さなくてはならない。

いまさらそんな夢みたいなことを言ってもムリでしょうと、またすぐにおこられてしまいそうだ。時代を過去にもどすことはできないのだから、と。いやべつに、過去にもどそうと言っているわけではない。「関係」から「心」まで何でもお金に換えていこうとうするいまの事態を、このまま先に進めていってかまわないのですかと聞きたいだけだ。もしそれはどうにもまずいと思うなら、現在まだどこかに生き残っている「人との関係力」を死に絶えさせることなく、その力を自覚しながら育てなおしていくことが急がれる。

どこにそれが生き残っているのか?その可能性のひとつは「おばさん」と呼ばれる人びとのなかにある。世の中が人とつながる自信をとりもどしてゆく足掛かりは「おばさん力」のなかに見つかると、わたしは思っているのだ。

「おばさん」といえば、図々しい、おせっかい、無神経、などという不名誉な形容詞がすぐに並ぶ。(中略) でもよく言えばおばさんは、人好きでたくましい。見知らぬ人ともすぐつながれる自信を持っている。関係力がおとろえた世の中にあって生き延びている珍種かもしれないが、いまや貴重な持ち物を保存している種族だとも言える。(中略)

なぜ、人と気軽につきあう自信を持っているおばさんが多いのか?ひとつには、生活のなかでたまたま「家事」を通して、モノや人と直接的につきあう日常があるからだと思う。決して「女だから」ではない。そうわたしは考える。さまざまな野菜や魚などの食材、水や火、天候や季節、そして生身の子ども。ときに病人。本来、男女子どもの誰もが担うべき「家事」を事実上おばさんたちが止むなく受け持っている。どうして家事や人の世話といえばいつも女なの、納得できない、と折々に思いながらも、つぎつぎにわき出る用事に追われていく。

しかし人間、じかにからだでモノとつきあって暮らせば、結果として生きる自信がつく。だから「男のおばさん」ももちろんいる。「じゃりん子チエ」というマンガでは、チエという小学生の女の子が、家事から家の仕事まで取り仕切っている。彼女は「子どものおばさん」だ。なんでもこい、と自信にあふれているが、その自信はからだでモノや人と直接かかわる生活からきてるにちがいない。ところが、すべてを商品化し、暮らしをお金に換えようとする社会は、関係の商品化、つまり、人と人、人とモノの直接関係を奪い取ることによって、人の生きる自信そのものを揺るがせているのだ。子どもの自信の前に、大人の自信喪失こそが問題である。

荒れ果てた消費社会が広がる。どこから歩き直しはじめたらよいか、見当もつかない。でも、モノや人と直接ふれあう毎日の体験は、積み重なる時間のなかで、人の自信をしずかに培ってゆく。あきらめずにそう信じたい。そして、作ること、工夫すること、協働することの楽しさを分かち合いながら、子どもたちと暮らしてゆきたい。」

 下河辺(小澤)牧子「子どもの自信」(「子どもたちのいるところ」より)
.......................................................................................

これを読んで、「なるほど、そうか!」とポンとひざを打った。まったくその通りだと思う。
だから付け加えることはなにもない。もし、あるとすれば、これかな。

「よろこびを他の誰かと分かりあう/分かち合う、それだけがこの世の中を熱くする。
それだけがただ僕らを、悩めるときにも、未来の世界へ連れてく」(小沢健二)

-----------------------------------------------------------------------
[追記] 私信によれば11月中旬から福岡を出発点に上映ツアーを再開するそうです。
前回、見逃した方はこの機会にぜひ。特に中南米を研究してる人類学者は見ておいた
ほうがよい。
by illcommonz | 2007-10-14 04:06
▼消えた現代美術家の肖像
d0017381_662167.jpgこら、
そこのチビたち、
ひとの顔みて、
笑うんじゃない!
イルコモンズ「ザ・公式ポートレート」(2001年)
横浜トリエンナーレ2001公式サイトより無断転載)
......................................................................

用事で都心に出たついでに、ここに書いた、「安齊重男の“私・写・録(パーソナルフォトアーカイブス)”1970-2006」展を、黒川紀章設計の国立新美術館でみてきた。なるほどたしかに、展示後半の「横浜トリエンナーレ」のコーナーに、現代美術家時代のイルコモンズを写した写真があった。そのコーナーのいちばん上、会田誠とM・カテランの写真の左隣りにあった。展示作品番号は2001の135番である。キャプションには撮影日時がなかったが、そこに写ってる展示物の散らかり具合などからみて、911の前に撮られたものだと思う。展示されている写真は、カメラに背中を向けた後ろ姿の写真だった。もちろんその背中に哀愁がないことは云うまでもない(それより背骨がすこし曲がってるのがすごく気になった)。とりあえず、自分の描いた絵をもってカメラの方をむいてるようなナイーヴな写真でなくてよかったと思う。とはいえ、そこに写っている人物像はどうみても子どもっぽい。季節は夏、「あれ、なんだか変なところに来ちゃったなぁ、と立ちつくしている夏休みのこども」のような写真である。モノクロだったら昭和の写真に見えただろう。それはともかくも、そのほかの写真では、クリストの初期の梱包作品をふくむ、1970年の「人間と物質」展の写真にいいものがあった。どこがいいかといえば、作家たちが美術館の外に出たがっている、社会とつながりを持ちたがっているという、その当時の空気感が捉えられていたところで、写真家のカメラはその事件の瞬間と現場をフィルムの上に見事に定着させていた。ほかに見ていておもしろかったのは、どの時代の写真にも、かなり高い頻度で、秋山祐徳太子と堀浩哉が写りこんでいたことで、「ウィリーを探せ」みたいな感じで、二人を探しながら展示を見てみるとおもしろいと思う。トリエンナーレで思い出したが、1999年シアトルでのWTO会議阻止行動の現場の音をフィールド・レコーディングした前衛音楽家Christopher Delaurenti のサイトで、その作品「N30 Live at WTO」のCD版を買ったら、CDと一緒に私信がついてきて、それによれば、Delaurentiは、トリエンナーレでのイルコモンズの展示をみたらしい。それをよんで「世界はせまい」ではなく、「世界は分断されていても、もうひとつの世界はちゃんとつながってる」と思った。

d0017381_3214015.jpg
(1999年11月30日 シアトルの抗議行動をフィールドレコーディングするクリス)

[追記] デロルンティのそのほかの作品については、このエントリーを。
「一回休み」(「イルコモンズのふた」2007年6月1日より)
http://illcomm.exblog.jp/5527156/
by illcommonz | 2007-10-14 03:22
▼チョムスキーの大予言
d0017381_223197.jpgEVA: On that note, the theme of the Book Fair in Venezuela this year is "United States: Is a Revolution Possible?" Is it?

CHOMSKY: I think it's just below the surface. I mean there is tremendous discontent. A large majority of the population for years has felt that the government doesn't represent them, that it represents special interests.

http://www.infoshop.org/inews/article.php?story=2007chomsy-rev-ven
by illcommonz | 2007-10-14 02:03
▼高円寺のクラ交易
d0017381_1521258.jpg
「なんだ、この店ボッタクリじゃねえか!どうも怪しいと思った!
覚えてやがれ、こんちくしょう!」の合言葉を言っていただければ、
「なにを、てめえ!言いがかりつけやがったらただじゃおかねえぞ!
表へ出ろい!」と、お返ししますので、「なんでえこのイカサマやろう!
こんなしみったれた店、火の海にしてやるからな!」の合言葉で
900円に!コレはお買い得ですので、ぜひご活用ください。
松本哉「高円寺フェス2007」広告宣伝文より

まるでトロブリアンド諸島のクラ交易を彷彿させるやりとりである。ことば使いは乱暴だが、モノを売ったり買ったりするというのは、本来、こういうことのような気がする。こういう「気勢を張る行為」の応酬が、モノ自体への悪しき執着心を祓いとばし、それを人間同士の交流にするのだ。商品経済のマーケットにショッピングはあってもトレードはない。ショッピングに欠けているのは、こういう互酬的なコミュニケーションである。地域通貨もいいが、本当にとりもどされなければならないのは、こうしたトレードを通じて人が「与え手」となり「受け手」となって交流することだと思う。アフリカやパキスタンでみたマーケットが活気に満ちていたのは、そこにモノがたくさんあったからではない。その活気をつくっていたのは、そこで行われているトレードであり、モノのやりとりを超えた人間とことばの応酬だったと思う。
by illcommonz | 2007-10-14 01:58
▼DISSENT! 叛爺八インフォツアーJAPAN 2007
d0017381_0331638.jpg(先週の)土曜はインフォツアーでドイツから来日した
←このDISSENT!の二人を歓迎するパーティに参加。
この日のパーティについては、RLLのレポートがある
ので、以下、それから抜粋。


「彼らDISSENTの広報班というかインフォメーション担当で、なんと30ヶ国!!!! も巡り歩いて、アンチG8の抵抗運動についてのレクチャーを開いているのだ。その講習会の数は400回にも及ぶ。僕が不思議に思って質問したのだが、彼らがそうやって動き回る旅費や生活費はどうやって出ているのだろう、と、聞くと、「こうやってタダでビールを飲ませてもらっているように、カンパで寝泊まりするところや、食事をわけてもらい、あとはアンチG8のさまざまなグッヅをを売っている」とのこと。そしてドイツに帰ると翻訳や土方!!のバイトを何ヶ月かしてお金を貯めているのだそうだ。すごい!!!  この日はあちこちのイベントで出会う、いつもの顔なじみがポエトリーに満杯で、抵抗食の会のドネーションでテイクフリーになるベジ食も本当においしかった。タコヤキを食べ損ねたのが残念!! その場でシルクスクリーンの機械を使ってアンチG8のTシャツを作ったり、いくつもの小さな交流の輪があちこちにできて、かなり久しぶりに会う面子にもばったり、会話に花が咲いた咲いた。」

あれは、正確には「タコヤキ」ではなく、「タコヌキ」の「コンニャク焼き」だったのだが、
うん、あれは、おいしかった。

d0017381_0343182.jpgイルコモンズも、
7年ぶりとか3年ぶりに
顔を合わせた人たちが
いたが、こういう場に
来る人たちはそれぞれ
行動が活発なので、
だいたい元気である。
というか、年齢不詳で
ある。よく「運動は体に
よいというが、それは
本当だな」と思った。
またこの日は若い人も
多かった(いいことだ)。

以下、再び、抜粋。

「まず最初に、ジェイスンがドイツのアンチG8の抵抗運動の映像を見せながら「毎回この映像を見るたびに、人々は大興奮する。だからこれはライオットポルノ(暴動ポルノ)って呼ばれてるんだ」って。みんな爆笑!!そう、暴動や運動、抵抗や創造で一番楽しいのはそれを準備する妄想の瞬間。いくつものイメージを見ながら、あれやこれ、それやこれ、と、さまざまな運動のスタイルをカットアップし、組み合わせようと、自然にみんな話し始めている。妄想がいくつも浮かび上がり、ちっぽけな手を伸ばし、はじけ、その飛まつが絡まりあう。」

「みんなが一番見たがり、見ると興奮する」というところからその名がついたとされる、この「ライオット・ポルノ」という呼び名は一種のジョークなのだが、本家本元「インフォショップ」のサイトに、この呼び名の妥当性についてまじめに論じた、おもしろいエントリーがあるので紹介。

d0017381_0353041.jpg
The Linguistics of "Riot Porn" By Warcry

I'm not sure the word "porn" is appropriate to describe the ideo/document of a riot. I am told it is because people tend to "fetishize" and "get off" in a vicarious mediated way on the excitement of others.

Riot and porno however, are not the same thing. In porno you watch people have sex vicariously and perhaps have your own mediated sexual response. Sad isn't it? I think that is where the comparison ends. Most people go to action/adventure/romance films to live vicariously, and have a mediated emotional experience. Video footage of riots may be a cinematic and mediated experience like other films, but that is the nature of the technology. We tolerate it, because the spirit of the Riot itself is what counts most, be it a mediated experience.

(中略)

Riots on the other hand are the liberation of desire, and not a Capitalist product. They can be, considered a reaction to Capitalism maybe. Thus riots are healthy, unlike porno. Besides, porno is different from riots cause jerking off what the Left is known for, whereas Riots thankfully, are different, they are the celebration of non-repressed desire.

If you are going to bother using language, try to be accurate in the meaning you create. "Riot porn" are two words with separate meanings and combining those two meanings doesn't make sense to me. Having said that, I got some killer stuff from Greece. I'm going to pull out the good shots and make a tiny film and put it on the internet. I think to put Buddy Holly's "It’s so easy to fall in love" on the soundtrack. It's not riot porn. It’s avante garde cinema verite!!!

時間がないので訳さないが、資本主義との関係から「ライオットポルノ」と「ポルノ」の相違点を明確にしてゆく分析はおもしろいし、ライトット映像は「前衛的な「シネマ・ヴェリテ」(*民族誌映像作家ジャン・ルーシュの造語)である」という結論も、なかなかうなづけるところがある。

さらにRLLレポートからの抜粋はつづく。

「それにしてもやはり最も重要な問題は暴力の問題なんだなっとつくづく思った。暴力。暴力的な抵抗運動と非暴力なそれをどう区別し、また、時と場合によって使い分けるか?そういった質問があり、ジェイスンは「権力による構成的な暴力に対抗するための暴力と、物に対する暴力はドイツである程度認められている」と語った。しかし、大企業の銀行、ファーストフード店を警察が警備し、小規模で何の罪も無い個人商店がデモ隊によって破壊されたり、労働者の車が燃やされたりと、弱者への暴力が生まれているのも事実で、ジェイソンは「警察のスパイが煽動している」と言った。過去の日本の公安警察の動きを知っていれば、これは十分ありえることだ。行き過ぎた暴力ではなく、知恵と笑いの非暴力の魅力も、見逃してはならない。」

その質問をしたのはイルコモンズで、以前イルコモンズ・アカデミーでブラックブロックの映像を上映したとき、「投石やショーウインドーの破壊などの行為は「非暴力抵抗」の原則に反するのではないか」という質問を受けたことがあって、たしかに「暴力」と「破壊」の区別は重要なので、そのへんをどんなふうに説明するのか聞いてみた。もっともこれについては、ソレルスが区別してみせたような、武装した権力による「上からの抑圧としての暴力」とそれに対抗する非武装の民衆による「下からの反撃としての暴力」という理論化がすでにあり(ほかには「ショーウインドーの呪いを解く」という理論もある)、ジェイソンの回答もそのラインに沿ったものだった。

d0017381_0533143.jpgこの晩は、これ以外に、親子で参加する「キッズ・ブロック」(←最前列で見ていた、ちびこもんず、大よろこびする)や「レヴェル・クラウン・アーミー」(ちびこもんず、またまた大よろこびする)なんかの話もあっておもしろかった。

ちびこもんずが身に着けてる
DISSENT!のパッチには、
こう書いてある。

「ぼくらは、君たちには
想像もつかないくらい
手ごわいぞ」


あと、感心したのは、99年のシアトルから07年のロストックまでの一連のグローバル・ジャスティス・アクト(プラハ、ワシントン、ジェノヴァ、ダヴォス、ペテルスブルクなど)の映像を編集したDVD("MEDIA+TOOLS Vol.1.2")があったことで、このDVDには映像だけでなく、インフォポスターやフライヤーの版下データ(pdf)、プレゼン用のスライドショー・データ、G8の実態についての詳細レポートなんかがディスク容量ギリギリまで収録されていて、ものすごく便利。こういうメディアツールををちきんとつくるところがジャーマン・アナーキスト気質だなと思った。いいものを見せてもらった、これはぜひ見習いたい。
by illcommonz | 2007-10-14 01:04
▼続・坊主に手をあげる者は
d0017381_9101427.jpgミャンマーのソー・ウィン首相が病死
「ミャンマー軍事政権は12日、国営テレビを通じ、ソー・ウィン首相(59)が同日夕、最大都市ヤンゴンの陸軍病院で病死したと発表した。死因は不明。首相は今年3月以降、病気治療のためシンガポールに長期滞在し、軍政トップのタン・シュエ国家平和発展評議会議長に辞表を提出。同評議会第1書記のテイン・セイン氏が首相代行として職務を引き継いでおり、同氏がそのまま首相に就任するとみられる。消息筋によると、ソー・ウィン首相は、反政府デモへの対応で軍政が「制圧」を宣言した直後の10月1日、シンガポールからミャンマーに戻っていたという。白血病にかかっていたとの情報がある。同首相は2004年10月に失脚したキン・ニュン前首相に代わって首相に就任。地方視察中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんを襲撃するなど、強硬派として知られた。(読売新聞 10月12日)
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「とにかく「坊主に手をあげてはいけない」そして「坊主に手をあげた者にはこの世でもバチがあたるのだ」ということを、もう一度、世界に対して、知らしめてほしい」
▼「坊主に手をあげる者は」(「イルコモンズのふた」2007年9月30日より)
http://illcomm.exblog.jp/6265135/

単なる偶然だとしても、これは当然の報いだと思いたい。そうしないと報われない人たちがいるから。人になんと思われようが、これは「バチがあたったのだ」と、そう思いたい。その方がずっと人間らしいから。ガンジーもこう云っている。

「この文明の炎で焼き尽くされている被害者には際限がありません。しかも救いようのないことに、この文明がまったくよいものだと信じ込んで、人びとはその焼けつく炎に飛び込んでいるのです。人々は宗教を軽んじるようになってしまいましたが、この世から利益を得ることも実際にはできないでいるのです。この文明は私たちの機嫌をとりながら、実はわたしたちにかじりついているネズミのようなものです。その影響が十分現われてくれば、宗教的迷信のほうが、近代文明の弊害にくらべればまだ害がなかったということに私たちは気づくでしょう」(ムハトマ・ガンジー)
by illcommonz | 2007-10-13 09:24
▼たたかう建築家、逝く。
d0017381_3235329.jpg才能と情熱の人・黒川さん、家族に見守られ逝く

あふれる才能と感性で建築の世界を国際的にリードした黒川紀章さん(73)が12日、亡くなった。晩年には東京都知事選や参院選に出馬するなど常に新しい分野に挑戦し、エネルギッシュに駆け抜けた。黒川さんを知る人たちは口々に「残念だ」と死を悼んだ。黒川さんの事務所関係者によると、黒川さんは東京都内の病院で12日朝、妻で女優の若尾文子さんら家族に見守られながら息を引き取った。2週間前から体調を崩し、3日前に入院したが、病床でも建築デザインのチェックを続けるなど仕事への情熱を絶やすことはなかったという。「おととい、何となく『私、いい奥さんじゃなかった』と言ったら、強く否定して『本当に好きだった』と言ってくれた。これが二人だけの最後の会話になった」。12日夜、若尾さんはこう言って悲しみをこらえた。(読売新聞10月12日)

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Q:(「共生」の)研究をはじめようと決心されたのは、いつ頃のことなのでしょうか?

黒川:一番はじめに遡れば、十歳の頃ですね。その時に決めた。空襲によって目の前で街が焼かれ、いろいろなことを考えました。父親の出身校であった愛知の東海学園に進学することになるんですけれど、そこが仏教校であったことも関係しているかもしれません。果して、仏教ってなんなんだろうと冷静に思いはじめて、その流れの中で「共生」ということについて考えはじめたのでしょう。そうやって子どもの頃に思い浮かべた夢に、今も向かって研究中ということだと思います。「週刊読書人」(2006年11月17日号)
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今から三年くらい前に一度インタヴューしたことがある。

「都市、万博、メタボリズム 破壊と再生のプログラム」
(黒川紀章インタヴュー)聞き手:五十嵐太郎+小田マサノリ
「10+1」No.36 特集=万博の遠近法 (2004年)

この時、終戦の日のことを聞いた。「空襲で焼け野原になった名古屋の街を父親と二人で見て歩いていた時、そこで父が口にした「これから建築が必要になるぞ」という言葉をはっきり覚えている」という、そんな話だった。そしてこれは活字になってないが、インタヴューの後、都心が一望できる青山の事務所の窓から、東京の街を眺めながら作家が口にした「こんなものつくってよかったんだろうか、って時々思うよ」という言葉を覚えている。それからしばらくして、五十嵐太郎と一緒に晩飯をごちそうになった。その時は「東京計画1960」の話や上海の都市計画の話をきいた気がする。その話のなかで印象に残ったのは「都市にしろなんにしろ、僕はなにかとたたかうのが好きなんだよ」という言葉だった。おそらく後年の裁判や選挙もそうだったのだろう。この作家が子どもの頃に思い浮かべた夢というのが、どんなものだったかは知らないが、生涯それに向かい合いつづけることは、たたかいだったと思う。そういう、たたかうことの好きな人間が好きだ。

[追記1] 本当にたたかうのが好きだったらしい。
▼奇襲作戦-他の主要候補者が演説している場所に突然現れ、対話しようとする選挙活動を一部のメディアが奇襲作戦と称した。選挙戦の最終日は新宿西口で演説中の石原慎太郎候補の近くに来て、「石原裕次郎の名前を出さないと当選できない石原慎太郎さんには、この歌を送ります」といい、石原裕次郎の名曲「銀座の恋の物語」を歌った。(Wikipedia より)

[追記2] そして「本当に好きだった」らしい
76年にテレビ番組の対談で知り合った。その日の内に黒川さんは若尾の自宅を聞き出し、絵画を持参して訪問。交際が始まった。当時、黒川さんは前妻と別居中で、離婚成立直後の83年末に結婚した。プロポーズの言葉は「君はバロックのような女性だ」。若尾も再婚だった。若尾は世界を駆け回る黒川さんに合わせ、年3分の1の外遊に同行。ドラマや映画出演は控え、舞台中心となった。建築家と女優、生活の時間が違うだけに、ここ数年は、若尾は自宅、黒川さんは近くのホテルで暮らす「別居」生活を送った。「若尾は女優として国の宝。僕が独占しちゃいけない」が持論で、住まいを別にしながらも携帯電話で毎日話し合い、若尾は手作り弁当を毎朝ホテルに持参した。7月の参院選は黒川さんの依頼で若尾は共生新党から立候補。慣れない演説もこなし、演説する時は傍らの黒川さんと必ず手をつないだ。70代で仕事にまい進する黒川さんに、若尾はあるインタビューで「互いに気を使っているけれども口出しはしない。そういう関係がよろしいのではないでしょうか」と答えた。最後まで大人の関係を貫いた。 (日刊スポーツ 10月13日)
by illcommonz | 2007-10-13 03:53